俺と『なま夏』と『CURE』

高槻セレクトシネマの特集上映”日本映画 次世代の才能”で吉田恵輔監督の『なま夏』と黒澤清監督の『CURE』を見てきましたよ。


『なま夏』〜あらすじ〜
冴えない中年サラリーマン益雄は、通勤電車で一緒になる女子高生の杏子ちゃんに恋してしまいました。でもこの益雄のピュアな片思いは、相手の杏子にしてみればただキモイだけ…。益雄の人生をかけた必死の告白も瞬殺されてしまった。どう頑張ってみても恋愛関係に発展しそうにないこの二人の恋の行方はいかに…。お馬鹿な生き物“男”について、いつもよりエッチにまたいつもよりやさしく描いた中年男の性春空回りラブストーリー。


吉田恵輔監督の作品は『さんかく』しか見たことが無かったんですが、その『さんかく』での人間描写、特に「こういうやついるよなぁ…」と我々に共感させてくる小市民的な描写に凄いセンスを感じたので、本作もそういう部分を期待しながらの鑑賞でしましたが、やっぱり『なま夏』でもそういう細やかな人間描写は流石でしたね。主人公の妹が自身の彼氏を兄と父に紹介するシーンで男連中のこういう状況で何を話していいのか分からず沈黙してしまう様子や、主人公が妹の彼氏に自身の趣味を”形の上でも”褒められて一気に打ち解けた(ような気になる)様子など、随所に”あるある”という描写が盛り込まれていて流石だなぁと感じました。
ただ個人的にはこの作品が取り扱った題材に色々考えさせられるモノがありました。あらすじのほうでは性春空回りラブストーリーなんて書いてますけど、個人的にはリア充と非リア中の格差、更に突き詰めていけばマイノリティの持つ悲劇性を描いているのかなぁと思いました。

だからこそ上記のあらすじは、こう改変すべきだ!


主人公の益雄(三島ゆたか)は女子高生の杏子(蒼井そら)に恋をしてしまう。非モテ、でかつ会社内でも虐げられる益雄の唯一の拠り所が女子高生の杏子だったのだ…。思いを募らせた益雄は遂に意を決して杏子へ告白するのだが、家族以外の女性とまともに接したことの無い益雄の告白は当然ながらあっさりと断られてしまう…。そして、拠り所を失った益雄は狂気へ囚われていくのだった…。


正直な所、益雄のとるべき行動は許されるものではないし、杏子の行動も非常に当然(突然現れたストーカー中年からプレゼントを渡され告白されてOKするほうがどうかしてる)なのだが、それでも益雄の置かれた状況や、過去を想像すると、彼の行動は非難されるべきものだが、彼自身を全面的に非難することができないのだ。(これは私自身もどちらかといえばそちら側の人間であると思ってるからなのかもしれない…)
映画を見ながら感じた『益雄』と『杏子』の越えられない壁(その大半は外見から由来するもの)から、何故か全然関係の無い『X-MEN〜ファーストジェネレーション』を連想してしまった。仮に、『益雄をミュータント』に、『杏子を人間』に置き換えてみても、意外にこの関係性ってしっくりくるんですよ。だから最後に益雄がミュータントに越えられない壁があると実感し、狂気に突き進むのは必然的な行動なのだ!




(ミュータントと人間)




『CURE』〜あらすじ〜
不気味な殺人事件が発生した。被害者は殺害された後に、首から胸にかけてX字型に切り裂かれていたのである。犯人は現場で逮捕されたが、なぜ被害者を殺害し、死体に手を加えてしまったのか、その理由を覚えていなかった。そして酷似した事件が次々と発生していった。これらの事件を追うことになった刑事の高部は、精神を病んでいる妻との生活と、進展しない捜査に翻弄されて疲弊してゆく。やがて、加害者たちが犯行直前に出会ったとされる男の存在が判明する。男の名は間宮邦彦。記憶障害を患っており、人に問いかけ続けるその言動は謎めいていた。


正直な話、黒澤清監督作品は実ははじめての鑑賞だったのですが、後半は見てるだけで胃が痛くなってくる映画だったので凄く良かったです。(明らかに映画を褒める表現ではない…)
映画の中での怖さの表現としてスラッシャーやゴアシーンなどの描写で直接的な恐怖を与える方法と、全体に漂うムードや効果音から受け手にこれから起こる恐ろしい事態を連想させる間接的な方法の二つがあると思ってます。この作品は前者の表現も豊富にありますが(首筋をXに切り裂く描写がその筆頭)、それ以上に、個人的には画面全体から漂う不気味で重苦しい雰囲気と明らかに人を不快にさせるであろう目的のBGM、それらから映画の展開の暗鬱が想像されて胃が痛くなってきた作品でした。(褒めてるんだよ!)
映画のストーリー自体は主人公である刑事の高部(役所広司)とその友人で精神科医の佐久間(うじきつよし)が、催眠術によって殺人事件を教唆する間宮(萩原聖人)に迫っていく前半部と、その間宮の本質に迫っていく彼らを描いた後半部に分かれているわけです。どちらかというとショッキングな描写は前半部(特にでんでんのシーンの怖さの演出が素晴らしい)に、見ている側にストレスとなる重苦しいムードは映画が後半部になればなるほど強まっていくわけです。(これは間宮があくまで催眠によって他人に殺人を教唆させる人物となっている部分も大きいと思う)
また、この作品の重苦しいムードがいっそう加速される要因として主人公の高部とその妻(アルツハイマーを患っている)の関係性が、映画の展開が進むに連れて不安定になる部分も大きいと思いました。高部の間宮に向けた苛立ちと、妻に向けた苛立ち、この二つがいつか同じベクトルとなって同一のベクトルとなって破綻に向かうのではないか…、そんな印象を持ちながら映画を見ていくために、後半の高部関係のシーンは常にえもいわれえぬ不安感に苛まれるのかなと。


役者陣では主演の3者、特に精神科医を演じたうじきつよしが素晴らしかったです。基本的には高部にブレーキをかけ、『あまり間宮に入れ込みすぎるな!』という役柄なのですが、そんな彼も徐々に間宮に囚われていくのですが、その事を高部に指摘された場面での彼の見せる後悔とも懺悔ともつかぬ表情が素晴らしい…。



特に『CURE』は大きなスクリーンで鑑賞できるので、未見の方でこういったジャンルが好きな人がいれば是非足を運んでほしいなぁ。(今週末まで公開中ですよ!)
しかし、こういった映画を上映してくれる映画館がなくなるのは、凄い残念だよなぁ…。