俺と「私の男」

 モスクワ国際映画祭で最優秀作品賞に輝いた「私の男」を見てきました。熊切和嘉監督の「海炭市叙景」と同じく北海道を舞台にした作品ですが、数年間と北海道に住んでた私にとっては「海炭市叙景」と同じく、北の大地の空気感―ピンと張り詰めた冷たい空気が見てるこちらに圧し掛かってくるような圧迫感を感じるあの感じ―を画面から感じる作品でした。一方で後半の舞台である川崎の、その場に立っているだけで茹ってしまいそうなうだるような蒸し暑さとの対比も素晴しく、熊切監督と近藤竜人さん(撮影監督)のコンビが作り出す画面は好きだなと思う作品でした。(ちなみに、冒頭の奥尻の場面は16mm、紋別の場面は32mm、川崎はデジタルで撮影したとのこと)


 でも、この映画で一番印象に残った部分は二階堂ふみでした。もちろん、モスクワ映画祭で主演男優賞に輝いた浅野忠信も印象的だったし、その浅野忠信と後半に強烈なシーンを演じる高良健吾なんかも印象に残ったのですが、その二人とは違う形で彼女の役者として魅力を感じる作品だと思うのでした。
 例えば前述した浅野忠信高良健吾なんかは、この映画でも彼ら”らしい”役、彼らが過去に演じてた役に繋がる様な何かを感じさせる役回りだと感じるのだが。いや、もちろん特に浅野忠信なんかは、そのらしさ以上のモノを演じてるように思うのだけど…。しかし、二階堂ふみは彼女のコレまでに演じた役どの役とも違う、もちろんそういう”らしさ”に私自身がまだ気づいてないだけかも知れないが、そんな演技が出来る女優なんだと思ったのだ。もちろん、私自身彼女の出演作はいくつか見てるんだけど、今回彼女が演じた腐野花は、「ヒミズ」で染谷良太演じる住田にストレートすぎる思いを伝える茶沢さんでも、「悪の経典」で伊東英明演じるハスミンの違和感に気付く片桐怜花でも、「四十九日のレシピ」で熱田家に突然上がりこみ亡き母のレシピを披露する天真爛漫な女性イモ、この中の誰でもないように感じた。いや、そもそもこの中の誰も頭の中をよぎる事すらなかったのだな。
 もちろん”らしさ”なんて事を言ってる私が、彼女の事をどれだけ知ってるのかということはあると思う。それこそ彼女の出演作で見た映画はそんなに多くないし、あとはタモリ倶楽部空耳アワードの回ぐらいの印象なので、もっと彼女の出演作を見ればこの印象は変わるかも知れない。


 そんな彼女は劇中で中学生・高校生・社会人といくつかの年代の「腐野花」を演じるのだが、それぞれを同じ人が演じてるようには思えないほどに彼女は多彩な姿を見せるのだ。友人たちとはしゃぐ姿無邪気な姿と他人の心の奥底を見抜く鋭さを併せ持つ中学生、心の中で焔のように燃えさかる腐野淳悟(浅野忠信)への思いを押し殺すかのように静かな佇まいを見せる高校生、そしてそれまでとは違い淳悟との距離を感じる−いや、もしかしたら淳悟近くに居ると否が応でも彼の持つ重力に囚われてしまうために、そこから離れようとして他の男と付き合っているのかも知れない…―社会人の花。
 何故、彼女はここまでの変化を遂げるのだろうか…。私は、彼女と淳悟の関係にその鍵が隠されてるのではと思う。


 この映画のもう一人の主人公、浅野忠信演じる腐野淳悟を象徴するものが二つある、それがタバコとコーラだ。彼のどの年代においてもこの二つが生活の中の一部と化しているようであり、タバコは十二分に大人といっていい彼がそれを吸うととても絵になるのだが、一方でコーラの方は全くといっていいほど彼にとって不釣合いな存在なのだな。恐らくタバコは彼の大人のしての存在の象徴である気がするし、コーラは彼の子供っぽさを現してるように感じるのだな。この矛盾する二つを内包する彼、その表情はあまり多くを語らないように感じるのだが、彼の時折放つ言葉の一つ一つ、コーラとタバコ、そして時代時代で変化する花の姿から、私は彼と彼女の関係の複雑さを思い描くのだ。
 「家族が欲しい」これは淳悟が放つ一言である。一言に家族と言っても彼と彼女の関係は、何か単純に割り切れる関係ではないのだ。刑事の追及を逃れるために彼が行う行動は、娘を守る父のようでもあり、妻を守る夫のようでもある。また、高校生の花を淳悟が抱くその行為は、恋人同士のようでもあり、馴れた夫婦のようでもあり、また、駄々っ子をあやす母親のようにも見える。そんな彼と彼女の関係は、余人の立ち入る隙さえ全くない関係、仮に花が誰かと家庭を共にしたとしても心の中には常に淳悟の存在がある、そんな関係なんだと思う。
 映画のラストは、そんな彼らだけの世界を感じさせるものであり、あの世界の中で淳悟は花にとって「父」でも、「夫」でも、「恋人」でもなく「私の男」という存在なんだろうなと、そんな事を思う映画でした。



関係ないけど、二階堂ふみちゃんのメガネ姿が最高に可愛かったな!(上の感想が台無しである)