俺と「2016年の映画をふりかえる」

2016年は途中からすっかり映画感想を書くことをサボってしまい、いつの間にか年も明けてしまいましたが、ぼちぼち昨年の映画を振り返ってみようと思います。
ということで、例年通り鑑賞本数とかベスト10的なものを発表しても良いのですが、数年前まで空中キャンプさんのサイトで毎年やってた「○○年の映画をふりかえる」に乗っかって、2016年の映画を振り返ってみたいと思います。

ルールは次の三つ

1. 2016年に劇場公開された映画でよかったものを3つ選ぶ(1つor2つでも可)
2. 選んだ映画のなかで、印象に残っている場面をひとつ挙げる
3. 今年いちばんよかったなと思う役者さんを挙げる

ということで私の2016年を振り返ると

  1. 海よりもまだ深く」「ヤング・アダルト・ニューヨーク」
  2. 海よりもまだ深く」で主人公である阿部寛池松壮亮演じる会社の後輩にギャンブルの金を無心し、なおかつその金を貸してもらえるという、ああ、この人心底ダメ人間だなということが凝縮されてた場面
  3. 池松壮亮

と言った感じになりました。
選んだ2作品のことについてはちょっと置いといて、役者としては池松壮亮がとても良かったなと思います。これ以外にも菅田将輝とのダラダラした空気感が素晴らしかった「セトウツミ」や、「海よりもまだ深く」と似たような立ち位置だけどナイスタックルが印象的な「永い言い訳」など、それぞれ作品の中でいろんな表情を見せてくれた役者さんでした。
特に「海よりもまだ深く」では、ダメすぎる阿部寛を支える彼。包容力があって、物わかりの良い彼が、どう考えても作品のヒロインでしょう!とか訳分からないこと力説したくなるくらいの、今までこういう作品だと女性が担うことが多かった部分を、男性ながらにさらりと演じてしまう凄さがとても印象的だったので、彼に敬意を表する意味でもこのシーンを選んでみました。

以下はふりかえる企画にあったコメントの代わりに、選んだ2作品をネタにしたとりとめのない話です。


いきなり映画の話とは全く関係ないのだが、先日出張したついでに大学時代の友人と会う機会があり、飲み屋で2時間ほどアレコレ話したりした。彼と会うのは大学を卒業して、都合3度目、1度目は卒業しての翌年で、前回は昨年(2015年)、そして3度目がこないだという流れになるのだが、前回は本当にお互い予期しない場所でばったり会った(そして挨拶程度の立ち話で終わった)ので、近況報告をするのは数年ぶりという感じになる。
まあ、仕事の話とかをダラダラしたりしてたのだが、彼から「前回会った時に言いそびれてたんだけど、2年前に結婚して今子供も居るんだよね…」という話題をされた。別にその事自体はおめでたいことなので「おめでとう!」ということを彼に伝えて終わりなのだが、その話を聞いた後、居酒屋を出て彼と別れた後に心の片隅に浮かんでは消える、不安とも焦燥とも似てるようで違う感情(もしかしたら私がそう認めたくないだけかもしれないが)、この感情を取り扱ってるなと思った作品がこの2作品だと思ったので、実はこの2作品以上に好きな作品はあるのだけれども、2016年を振り返るとこの作品のことがまず頭に浮かんだ。

話を映画に戻そう、「海よりもまだ深く」で阿部寛演じる主人公は処女作で文学賞を受賞するも、以降は鳴かず飛ばず。取材と称して興信所勤めで生計を立てる男。「ヤング・アダルト・ニューヨーク」でベン・スティラー演じる主人公として取り上げられる男も、処女作で注目を浴びるも8年間も新作が完成していないドキュメンタリー映画監督。どちらも1度は誰もが夢見る成功という果実を手にしたものの、どちらも思い描いた人生とは程遠い人生を歩んでいるという感じの男といった感じだ。こう書くと、私自身が“なりたいもの”とほど遠い人生を歩んでいる男…なんて思われるかもしれないが、少なくとも私にはこの二人のような“人生の中でのあるべき姿・なりたい自分の姿”みたいなモノがある訳でもないし、人生の転機みたいな部分―例えば進学だったり、就職だったり―で転機に決断した、思い描いていた内容とは違う方向に進んだりする人間だったなと。別に、これは私だけの話じゃなくて、多くの人はそれこそなりたい自分を目指して進む道を選んでないなとは思うが、少なくともこの二つの作品の主人公は二人ともその部分である程度、明確にその部分とのかい離が提示されているのだな。

ただ、一方で多くの人にある“人生のあるべき姿”のようなものは、別に仕事に限ったわけじゃなくて、それこそ結婚であり、家庭や子を持つことであり、そういう部分での何とも言えない重圧みたいな部分にも隠れてるんじゃないかなと思ったりもした。とはいえ、今の私の生き方を改めて振り返ってみて、ほどほどの給料をもらえて、年間200本近く好きな映画を見られて、たまに美味いモノを食べに行ける今の生活に満足してるのも事実な訳でだな、結婚や子育てというモノを“今すぐに手に入れるべきあるべき姿”かと言われると、それこそ何度も親や親戚に言われたことに対する発言と同じ回答になってしまう訳だ。(まあ、そもそもそうなるべき相手がいないじゃんという根本的問題はちょっと置いといてだな…)そう考えると、あるべき姿からの乖離にもがき悩む彼らの姿と友人からの一言(正確には彼の現状)がもたらす感情は、もっと深いところで繋がってるんじゃないかと感じた。この記事を書くにあたって、改めて(映画と自分を)ふりかえってみると、彼らの葛藤と私の感情はともにある種の“停滞”に繋がってるのかなと思う。“停滞”なんて書くからネガティブに聞こえるかもしれないが、この2作品は少なくとも見ている時にそんなネガティブさを感じさせるような作品ではない。ただ、主人公二人の見せる感情の引っ掛かりのような部分を私なりに読み解いていくと、“停滞”という言葉が 浮かび上がってくる。

改めて考えると「海よりもまだ深く」の主人公はそれこそより“停滞”を強く感じる男だ。この映画の中で彼の別れた妻は変化の象徴であり、一向に変化しなかった夫に愛想を尽かして彼と別れたのは想像に難くない。ただ、彼の中でも“停滞”があり、例えば一向に進まない原稿がそれに当っていたのかもしれないし、彼自身の中で“停滞”の象徴であった父に近づいてしまっていることに戸惑っていたのかもしれない。その一方で彼の停滞を受容する人もいて、それが母であり池松壮亮演じる後輩であり彼の息子なのだ。劇中での彼の“停滞”がネガティブに感じないのは、彼自身の憎めなさもそうだが、それ以上にそれを受容する人の暖かさによるものが、そう時間させてくれているのだと思う。
「ヤング・アダルト・ニューヨーク」の主人公は“停滞”を打破しようとしもがく男という印象が浮かび上がってくる。同世代の友人と同じような生活、世界を過ごしてきたはずなのに、少しずつ生じてしまったズレ(このズレはナオミ・ワッツ演じるパートナーの方に如実に描写されてたりもする)。彼は講師として映画を教えているのに、自分が作りたかったアメリカをテーマにした壮大なドキュメンタリーの完成も遅々として進まず、撮影のパートナーにも愛想を尽かされる始末。そんな彼が“停滞”を打破するために、アダム・ドライバーが持っている若さをある種嫌々ながらも受け入れて行く。ここでいう若さとは変化の象徴だ。自分とは違う感性、生き方、考え方、食べ物や生き方や音楽や趣味や…etcを変えてみれば、この“停滞”が打破されるのではないか。そんな希望にすがる男の物語のように思えてならない。

朝起きて会社に行って仕事して家に帰って飯食って休日は映画を見に行って、たまに美味いものでも食べる。そんな私の日常の繰り返しに満足しつつも、心のどこかにこれが“停滞”だと感じている部分があるのではないのか。友人の変化を告げる一言によって呼び起された感情それこそが、彼らと同じ“停滞”に対する思いなんじゃないだろうか。
どちらの映画でも主人公たちの“停滞”を打破するための、分かりやすくて気持ちのいい解答は提示されず、もしかしたら彼らのその後に大きな変化はないのかもしれない。少なくとも「海よりもまだ深く」の主人公はあのままの生き方に落ち着きそうな気がする。ただ、全ての人の人生が順風満帆に進まないように、普通の人の人生の中にある“停滞”と向き合う彼らの姿が、同じく心の片隅に“停滞”を感じている私の心のどこかに響く部分があったのだろうなと。そして、彼らが明確な結論を見出していない部分に、私も同じ匂いを感じていたんじゃないかと思う。


ということを2016年に考えたりしたので、ふりかえって選ぶ映画はこの2本になりました。ちなみに、矛盾してるようですがもっと好きな映画は別にあったりするので、それはまた次の機会に…。