俺と「ベイビー・ドライバー」

エドガー・ライトの「ベイビー・ドライバー」を見た。元より洋楽好き、それも私の世代よりも一昔前、私が生まれる前の時代の音楽が好きということもあって最高の音楽映画だった訳だが、今回は「音楽と演出最高!」という私にとっては一番グッときたポイントをあえて外した、この映画のストーリーについてちょっと感じたことからまず書いておこうと思う。


この映画、音楽に合わせたキレッキレの演出がとくに印象的な内容であり、その演出と犯罪行為(というよりも脱出劇)の手際の良さに爽快感を感じさせる作風だと思うのだが、意外にも犯罪劇にはあまり似合わない非常に善悪の区別、特にキャラクターの役割分担においてはそれがはっきりついている内容で、ストーリーの中核は「ズレと贖罪」なのかなと思っている。
当たり前だが犯罪行為は悪だ。ただ、多くの映画の中ではその悪の行為を悪だと感じさせない理由付けがなされたり、犯罪行為をスリリングに演出することで善悪よりも成否に焦点を持っていたりする。この作品は序盤こそベイビーがキレッキレの手腕を見せて脱出劇を成功させ、彼にとって運命の人となるべき女性 と出会い、組織から足を洗って真っ当な人生を踏み出す…という流れなのだが、もちろんこの後の彼の人生は順風満帆に行くはずもなく、再び元の道に引きずり戻されてしまう。感覚的にはこの時のベイビーの心性は紛れもない善だと思うのだが、一方でこれまでの行為、悪の行為で得た利益を清算していない、いわば心と体が一致しないとでもいう感じの状態にあるように感じる。一方で、彼の最後の仕事となる強盗劇はこれまとは真逆に感じる、チグハグで行き当たりばったりで泥臭いものになっている。このチグハグさこそが、元々ずれていた彼の人生を修正するために必要だったズレであり、贖罪なんじゃないだろうかと思ったのだ。

さて、その彼の最後となる仕事で選曲したのはオランダのプログレッシブロックバンド、フォーカスの代表曲「Focus Pocus(邦題:悪魔の呪文)」だ。1960年代末期にイギリスで勃興し、その後ヨーロッパ各地に広まったこのプログレッシブロックというムーブメント、その中でも随一と言って良いほどの個性を持っていたのがこのフォーカスだ。何せ、ヴォーカルのはヨーデルまで曲に組み入れてくるのだから、その個性は凄まじいというしかない。この曲でも天才ギタリストであるヤン・アッカーマンの刻む超かっちょいいギターリフの後に続くのは「レイレレ レイレレ レイレレ レイレレ パッパパー」というヨーデルで、もう変という一言しかないのだ。だけれどもカッコよさとは対極にあるように一聴して感じてしまうこの珍妙さが、映画内で彼が正しい道に戻るためのズレを暗示してるように感じて素晴らしい選曲だと感じた。(もちろん、この曲が大好きだという点もおおいにあるのだが。)

映画のラストで彼の人生は真っ当な道、彼の心性とマッチした正しい道に戻るのだが、それに説得力を与えていたのは、裁判や刑務所内での生活ではなく、ヨーデルとギターリフが奏でる泥臭い逃走劇にあるように感じる、そんな作品でしたな。