俺と「僕たちの家族」

 石井裕也監督の「ぼくたちの家族」を見てきました。石井裕也監督の前作「舟を編む」も素晴しかったですが、その前作以上に自分にとっては特別なテーマを扱ってると感じた映画でした。この作品で扱ってるテーマが今の私にとって凄く特別なものに感じたのは、もしかすると石井裕也監督が私と同い年(ともに1983年生まれ)ということも関係あるのかなと思ったりしました。
 妻夫木聡(彼も1980年生まれと年齢的に近いのだな)演じる主役の浩介は、多分性格も歩んできた人生も私とはかなり違うと思うけど、どこかに自分の分身を思わせるような感じ(多分原作者や監督の分身でもあると思うのだな)がして、あまり感情を言葉に出さない彼の心の中、その言葉にならない感情が、何度も何度も自分に伝わってくるように感じたそんな作品でした。
(ネタバレと言うか、ストーリーをなぞってるだけの感想なので、映画見終わってから読んだ方が良いかもしれません。)


・いつか来る日

 映画とは全く関係ない私的な話なのだが、私が実家を離れて一人暮らしを始めてもう十年以上になる。実家を離れたと言っても年に数回は帰省して両親と顔を合わせるのだけど、ここ数年、時折顔を合わせる両親が以前に比べてなんだかか弱い存在に見える時があるのだ。もちろん、時の流れが一番の要因だとはいえ、私にとっては父や母はそこに父や母として存在しているのが普通であって、突然その存在が欠ける事は、少なくとも数年前までは、想像もつかないような人たちなのだ。でも、この時折父や母に感じるか弱さが、浩介の身に降りかかる出来事(母の病)を他人事と思えなくしているのかもしれない…。
 それほどまでに映画の中で描かれる母・玲子(原田美枝子)の病の様子は、ここ数年、いやこれまで見たどのホラー映画よりも不安で、陰鬱で、重苦しく、なんとも言えない恐怖を感じるのだ。例えば、日の暮れた家で電気もつけずにボーっと座っている様子、嫁の家族との会食の場で突然訳の分からない事を口走るとき流れるあの空気、病院で診断を聞いてる最中突如叫び始める様子、そしてまるで赤の他人のように自分の息子を見つめるその眼差し、どれをとっても母の病(なお、劇中では脳の病と診断される)の恐怖を浩介に、そして私自身にも植えつけるのに十二分な描写なのだ。
 でも、私が最も恐怖を抱いたことは、劇中で描かれるこの絶望的な出来事が、自分にとってもいつか来る日かもしれない(形は違えど訪れるような気がしてならない)という恐怖なのだ。


・重圧
 コチラの意図とは全く関係なしに訪れた”その時”は浩介の全てを一変させてしまう。病に冒された母の存在はもちろんの事、彼女を取り巻く人々との関係、父克明(長塚京三)や弟俊平(池松壮亮)そして嫁の深雪(黒川芽以)も、もちろん例外ではないのだ。
例えば父の見せる今までに見たこともないような姿、この現実を受け止められないのか「昼飯買ってくる」と良い逃げ出すように家を出る様子や、母に付き添う夜半に何度も何度も自分にたわいもない事を電話してくる姿、そんな父の頼りなさ、今まで恐らく便りになる存在であったと思う父のそんな姿が、浩介にとっては「全てを自分で背負っていかないといけないのか…」という重圧になってくるのだよな。
 この重圧は浩介が一人で背負うべきものでもないだろうし、もちろん父や弟もそれぞれに背負うべきモノを背負っているのだろうけど、目の前にある状況をどこか他人事のように捕らえ、まるで自分は第三者のように語る弟の様子や。「貴方の家族の問題を私の家族に持ち込まないで!」と切り捨てる(もちろん言ってる事は正しいのだが…)妻の態度から、この重圧が彼にのししかかって行き、いつか彼の方が押しつぶされてしまうのではないかと感じてしまうのだ。
 でも浩介はその重圧をなんとかして背負おうとするのだな。何故、彼はそこまでしてこの辛い現実に向き合おうとするのだろうか。多分は、彼は自身の過去に対する負い目も含め、兄としてそして何より息子として、今の自分を作ってくれたモノと向き合おうとしてるのだろうな。成長し、自分の家庭を持つに至ったとは言え、いや、むしろ家庭を持ったからこそかもしれないが、自分の過去を切り捨てる事は、彼の未来の家庭をも切り捨ててしまうことに繋がる事を、彼は心のどこかで感じていたのかもしれない。
 もし、私に”いつか来る日”が訪れたとき、私はこの重圧に耐えられるのだろうか。少なくとも今の私は浩介ほど、この現実に向き合えるとは思えないのだよ…。


・それでも進む
 それでも浩介は前に向かって進む事を決意するのだ。それがあるのかもわからない希望のためなのかもしれないし、自分を納得させるために出来るだけのことをしようとしてるだけかもしれない。でも、様々な思いを彼は抱えながら一歩ずつ前に進んでいく。そして、その浩介の頑張りに呼応してか、それともただの偶然かは分からないが、少しずつ運命の歯車が良い方向に回り始めるのだ。少なくとも俊平の変化は兄のひたむきな姿勢に影響されたものだと思うし、もしかしたら彼の心の立ち位置が変わったことで、周りの人の同じ態度・同じ発現もポジティブに受け止められるようになった(これ見てる我々も含めて)のかとも思う。
 もし、この映画の最後が今回とは違った結末を迎えたとしても(いや、その結末はいずれ訪れるのだが…)、浩介や俊平そして克明は自分たちが
しこりを残した状況でその時を迎える事になるよりも、バラバラな気持ちではなく一つの家族としてその時を迎えられて幸せだったんだろうなと思う。


 映画を見終わった後でこの映画の事を思い出すたびに「私はどんな気持ちでその時を迎えるのだろうか…」と何度も考える。ただ、何度考えてもその未来の事を全く想像も出来ないし、仮に想像できたとしてもその想像なんて一笑に付すぐらいの現実が突きつけられるんじゃないかな。結局、私にできる事も浩介と同じく、もがき苦しみながらも前へ進むことしかないのだろうし(もしかしたらそれすらも出来ないかもしれないが)、人生そのものも同じなんだろうな…。そんな事をしみじみと考える映画でしたよ。