俺と「マイ・インターン」

 「マイ・インターン」見てきました。大阪の中心部ある劇場だと平日のレイトショーが満席になるほどの人気作らしいですが、私が普段行っている劇場 ではまあ普通の入りでした。この作品、とてもいいなと思うポイントとちょっと微妙だなと思うポイントがあって、結構評価に悩む作品なので、ネタバレ全開で少し思うことを整理してみます。


 普段の映画(最近だと「彼は秘密の女ともだち」など)を見ているときに、愛くるしい幼女とかが出てくると「○○ちゃんマジ天使!」なんてちょっと 人間性が疑われるような発言をする私ですが、今回はアン・ハサウェイの娘役のよりも、圧倒的にロバート・デ・ニーロちゃんがマジでヤバかった!まさか70歳を過ぎたおじいちゃんを「ロバート・デ・ニーロちゃんマジ天使!」と思うような日が来るとは…。これは間違いなく人間性が疑われる…。という風な、一見すると錯乱しているような感想を抱いてしまうほどに、ロバート・デ・ニーロが可愛いおじいちゃんといった作品でしたよ。
 なんせ孫が寝ているに二段ベッドの下段でパジャマを着て寝る姿を見せられると、どう考えても天使としか言いようが無い。もちろん、本編となるアン・ハサウェイとの関係においても、一歩引いた立ち位置から適切なアドバイスを送ってくれる落ち着きのある年上の男性というキャラクターがとてもしっくりきていて、しかも冷静沈着な完璧超人(例えば執事的なキャラクター)じゃなくて、きちっとしつつもどこかに隙のようなもの、コチラが関われるきっかけのような部分を常に持っている男性という、やっぱりあれか新手の天使だな。
 私の中でこの映画の良かったポイントは、彼の演じるキャラクターの魅力が90%以上を占めていると思いましたね。

 一方で、もう一人の主役。彼女も昔は(モチロン今も)天使のような存在だったアン・ハサウェイ。その彼女のストーリーがドンドン進むほどに、私の中で違和感が大きくなっていく感じがありました。
 例えば、中盤で彼女が間違って母親への愚痴メールを母に送ってしまうというエピソードがあり、前々から親子の関係が不仲なことが示唆されているのにもかかわらず、この事件の後にも特にフォローなしという展開に「えっ、コレ投げっぱなしなの?」と思うのですな。この映画、彼女が仕事人であることと母であることの狭間で悩むということがストーリーの大事な部分一つじゃないかなと思いながら見ていたので、そこかで彼女と母との不仲と彼女と娘の関係が対比されるのかなと思いましたが、結局特に掘り下げる部分はなかったんですよね。
 まあ、その部分はまだ許せるとしても、ラストの結末は何度も思い返すうちに違和感が大きくなっていく展開だと思うのです。
 ちょっと話は脇道にそれますが、アン・ハサウェイの持つイメージと言えば何と言っても「プラダを着た悪魔」ですが、この作品はその「プラダを着た悪魔」と対照的な部分、更に言えば、世間一般に言われている役割と対照的な設定がいろいろあるなと思いました。例えば、「プラダ〜」では見習いのアシスタントとカリスマ編集長だった若い人と老いた人の関係が、若手カリスマ経営者と高齢のインターンになっているし、彼女の家の役割分担は女性が外で稼ぎ、男性が家の役割を果たす形になっていて、いわゆるこれまでの世間一般の価値観とは真逆の家庭な訳です。
 ということを前置きしておいて、この作品あのラストの展開を仮にアン・ハサウェイの役が男性だったとしたらどうなるか、「家族と仕事両立しようとしてたけど、やっぱ無理。嫁は別の男と浮気してたけどしょうがないよなー。俺はやっぱり仕事に生きる!えっ、浮気してた嫁が謝ってやり直してくれるの?良かった良かった。」いや、全然良くないだろ!となるんじゃないかなと思うわけです。もちろん、ちょっと私がうがった見方をしている部分もありますが、性別を変えるとダメダメな作品になるってことは、やっぱりこの作品自体にも、何かモヤモヤするものが私の心に残るのです。

 もし、彼女の結末がもっと違ったもの、例えばお互いが別々の道を歩むような結末だったとしたら、もう少しこの映画への印象は変わったものになったのかもしれません。はたまた、彼女の人間関係や生き様の部分(例えば上に述べたような母との関係とか)が丁寧に描かれていたら、同じ結末だったとしても、彼女に対してもう少し違った感じ方が出来たのかもしれません。
 やはり、この作品で描かれた「おじいちゃんが天使だから上手く行きました」という帰結だけだと、彼女の変化や成長みたいなものが私には殆ど感じられず、全てを上手く解決してくれた「おじいちゃん天使」の印象しか残らない、私にとってそんな作品になってしまった気がします。


・結論
「ハンカチはいつも持ち歩こう」「睡眠は8時間以上取ろう」「ロバート・デ・ニーロちゃんはマジ天使」