俺と「ルース・エドガー」

映画館が営業再開してから一か月ほど経過し、私もボチボチ映画館に通っております。例年ならそろそろ上半期の映画のまとめでもするかという感じですが、まあご時世的にそんな気にもなれずということで、久々に最近見た映画の感想をリハビリがてら書いてみようかと…。

 

さて、誰も興味のない前置きはこのくらいにしておいて、本作「ルース・エドガー」のお話。主人公は紛争が続くエリトリアから裕福なアメリカ人夫婦のもとに来て、養子として育てられた少年で、学業優秀、品行方正、スポーツもできて、人望もあり、スピーチも上手いと、まさにアメリカでイメージされる優秀な学生の体現といった感じのルース。映画本編は、そんな彼が歴史(正確にはそうじゃないけど)の授業で提出したあるレポートが引き金となって、彼について周囲の大人たちが徐々に疑心暗鬼していく…的な物語になっています。

映画を見た感じとしては、まずは彼の属性に関する部分、これは特に昨今のアメリカの社会的な情勢とかもあるので、その部分を考えてしまう訳ですが、その部分に関して大仰に語れるほど知識を持ち合わせていないのと、それ以上にあるポイントが久しぶりに映画の感想を残しておこうという気にさせてくれたので、その部分についてちょっと感想を残しておきたいと思います。(以下、壮絶なネタバレ有)

 

周囲もうらやむような愛すべき理想の息子に突如浮かんだ一抹の不安。母であるエイミーにとってはルースの本性に疑念を抱きつつも、教師よりも愛すべき息子の将来のために彼をかばう行動をとってしまい、息子を巡って夫との夫との間にこれまであえて目を向けてこなかった確執が広がってしまうというのが、本作で彼女をとりまく状況である。

さて、本作で何もかもわからない怪物のような存在とも解釈できるようなルースの存在であるが、エイミーにとって愛すべき息子がいつの間にかとんでもない存在、彼女の理解を範疇を超えた存在や彼女とは似ても似つかない存在になったようにも思える。しかし、個人的にはある一つのシーンからルースが彼女の息子であると感じさせる、彼女との共通点をしっかりと感じさせるシーンがあったのが、特に印象に残っている。

 

劇中で一つの山場ともいえるのが、ルース一家と校長そして教師のハリエットが対峙する学校でのシーンだ。それまでの展開から、ここでルースの本性が関係者の前であらわになる…そんな展開を予想するような物語の流れではあり、ハリエット自身もそうなることを予感していたはずだったが、その予想は大きく裏切られることになる。

このシーンで観客、そしてハリエットの予想を裏切った人物は二人いて、一人はすべてをさらけ出すといっていたはずだったルースの元恋人キムであり、もう一人はこれまではエイミーとは異なり、ハリエットの側に立つような言動が多く見られたルースの父であり、エイミーの夫であるピーターだ。

さて、当初からルースの側に立っていたようにも感じさせるキムはともかくとして、ピーターが何故ハリエットの側ではなくエイミーの側に立ち返ったのか。もちろん、はっきりと理由があるわけで、ありていに言ってしまえばエイミーはピーターの望むことをエサに彼をエイミー側に引き寄せたのだ。そして、その関係性はルースとキムの関係においても後に同じ関係性が浮き上がってくるのだ。しかも、この映画が非常にいやらしいと思えるのは、エイミーにその行為を目撃させるという展開が待ち受けていることなのだ。

ルースとキムの情事を見て、エイミーの胸中には様々な感情が渦巻いたことは間違いないと思うが、彼女とルースのパートナーに対する関係の持ち方に、私自身は彼が彼女の息子であることを強く感じたシーンとなったのであった。

 

 

映画のクライマックスでルースはハリエットと対峙する。余談だが、このシーンが映画の中でも群を抜いて素晴らしいシーンで、私もこのシーンが一番好きだ。その際に「人はある種の役割を他人から、社会から望まれる」ということを訴える。

では、そんな彼を作り出したのは誰なのか…、そんなことと彼とエイミーとの関係について思いをはせていく、そんな作品でした。