俺と「聖なる犯罪者」

 1月に見た映画の中で頭一つ抜けて面白かったのが本作「聖なる犯罪者」。昨年のアカデミー長編国際映画賞にノミネートされ、「パラサイト」という作品賞も受賞してしまったとんでもない作品があったため、賞レースにおいてもそこまで話題にならなった不運の作品ですが、実話から着想を得た本作は単純な善悪で割り切れない深みを感じる作品でした。

 (以下、当たり前のように映画の結末にまで触れてます。)

 少年院に服役していた主人公のダニエルが、出所後に田舎町の教会で新任の司祭と身分を偽りながら働き始め、少々破りな行動ながらも徐々に住人たちの信頼を得ていき、やがてその田舎町で少し前に起きたある事件について関わり始めるという物語の本作。若き司祭として田舎の人々と時に立派に時に司祭らしくない様子で関わっていくうちに、ダニエル自身も一人の司祭と見まがうような立派な人物に更生して、そこに住む人たちが抱えていたある問題を解決していくストーリー…と思わせておいて、ラストはそんな勧善懲悪とはひと味違う展開になる訳です。
 いや、仮にこの映画がそんなストーリーになっても全然満足できるクオリティをストーリーや演出、各々の説得力のある演技から感じる映画なのですが、この映画をラストシーンまで全てを見てしまうと、これだ!という一つの結論の枠にこの映画が収まりきらない、収めてはいけないような映画になっていて、かといって決して難解じゃない作品だからこそ色んな人に見て欲しい作品だなと思いました。
 そんな余韻の一因となるのが主人公のダニエルを演じるバルトシュ・ビィエレニアの演技。酒やたばこを楽しんだり、スマホで音楽を聴きながらノリノリになったりといった、まさに悪ガキ少年といった感じの面影を見せたりしつつも、我々の心の中にいる悪を見抜くような説教をしたり、多くの人の心を打つような高潔な行動をしたりといった二面性を持ったキャラクターとなっており、特に彼をあの目、世間を疎むような若者にも見える一方で、何かの真実を見抜くような印象的な目つきが非常に良かったキャラクターでした。

 

 とまあ、この映画の主人公についてあれこれと語ってきたわけですが、本作について私が非常に良かったなと感じるのはそんな主人公のダニエルの存在以上に、主人公を引き立てるキャラの絶妙な描き方の方でした。

 劇中でのダニエルは上述のように聖職者と犯罪少年という二面性を持った存在ですが、実は彼に留まらずこの映画に登場する多くの人物がそういった存在であることを示唆した描き方になっています。もちろん、一見すると非常に典型的なタイプな”いい人”なキャラもいれば、”嫌そうな人”というキャラもいるのですが、そんなありきたりな分類をされそうなそれぞれのキャラクターのもう少し深いところを感じさせるような描き方になっていて、個々のキャラクターへの描写は簡単なものが多いものの、”いかにもな”キャラクターの持つもう少し先の背景を読み取りたくなるようなキャラクターになっていました。

 例えば、教会の世話をしてる叔母さんを含めた事故の遺族たちはその代表例で、やるせない事故で生じた喪失感を抱きながら生きる人たちという部分と、そのやるせなさを何かにぶつけずにはいられない人という二面性が強く描かれていました。
 その他にも、権力者として生きる町長も、単純な悪人というキャラクターというよりも、汚い手を使いつつも、あるいみで町の平穏を守るためにその役割を果たす人という側面も感じられます。(ある意味で、多数派からの意向に逆らえない民主主義の象徴のような役割を負っています。)
 そんな町長と同じ役割を果たすべきなのが司祭なのですが、老いた善人のように描かれた彼が、実は責任を放棄した大人とも読めるような印象を抱く存在であり、同じく聖職者である刑務所で彼を導いたトマシュ神父も、犯罪者の更生を訴えつつも、神学校にダニエルを迎え入れなかったり、町でのダニエルの様子を顧みず、最終的に再び彼を少年院に送り返したともとれる人物と解釈することもでき存在だなと思ったのですね。

 このように多くの二面性、そのキャラクター自身が持つ矛盾が表出する映画になってていて、フィクションの物語であることは分かりつつも、この地球のどこかで同じような現実が起きているのではないかと感じる、ある種の社会の縮図のような現実感を感じさせる作品でした。
 ただ、そんな胸が詰まるような現実味のある世界の中で、そんな映画のキャラクターたちの中で唯一、自身の信念を通したように感じるのがダニエルと恋に落ちるヒロインのリディアな訳ですが、映画のラストで彼女はこの村を去るという決断をします。その際の彼女の心情が明かされないので、事件で兄の真実を語らなかった母を許せなかったのか、それとも自分を許せなかったのか、色々な解釈ができる彼女の存在も非常にこの映画が余韻を残す一因となっているわけです。
 とはいえ、この映画には希望もしっかりと書かれていて、リディアが見捨てた矛盾に満ちたこの世界の縮図である村でも小さな変化が起きていて、教会のミサの中でリディアの母があの女性に席を進めたのは、矛盾の世界の中ある唯一の希望、「赦し」を象徴したのかなと思ったりもしました。
(となると、一方で少年院に戻ったダニエルは赦しを選択しようとしても選択できなかった、悲劇の中にに落ち込んだ存在となるのですが…)

 

  ちなみに、本作を見て感想を書くまでに間が空いたのが功を奏したのか、今この感想を書き上げるまでの間に見たある映画で、かなり似た要素を感じ取った作品があり、それが西川美和監督の「すばらしき世界」でした。このことは、いつか機会があれば書いてみるかもしれませんね…。