俺と「風立ちぬ」

風立ちぬ」をちょっと前に見てきました。ジブリの作品を映画館で見たのは「千と千尋の神隠し」以来という私ですが、見終わった直後の感想は一言で言うと「なんか怖い作品」でした。
普段はホラー映画が上映されると聞けば、スキップしながら劇場に馳せ参じ肩を落として帰路につく事が多い私ですが、ホラー映画とは全く逆ベクトルに思えるこの作品が何故に恐いのか、自分の気持ちに整理をつけるためにも感想(というか妄想)を自問自答しながらいろいろ書いてみますよ。


・何かを成すという事
 端的に言うと、この映画の主人公”堀越二郎”が飛行機にかける思いが私にとっては怖い。”美しい”という気持ちだけで、自分自身の全てを注ぎ込むその姿勢が、そしてそれ以上に周りの人を巻き込んでも”美しい”ものを追い求めようとするその姿勢が怖い。幼少の頃から大人になるまで一貫して”美しい”モノを求めて突き進むそのブレの無い姿勢が怖い。
 この映画で描かれる堀越二郎は、多分私なんかが100万回生まれ変わっても得られないような豊富な才能と、それ以上に自分の追い求めるものに情熱を注ぎ込める強い意志を持ってる男だなと思うわけですが、果たして自分を振り返ってみてどうなのかと。例えば、幼い頃になりたかったモノに、憧れていた事を貫き通すようなことが出来たかと言えば…な訳で、だからこそ二郎の生き方、自分が出来なかったこといとも容易く(モチロンそうじゃないけれども)成し遂げてしまうその生き方に、ある種の恐れを感じてしまうのですよ。
 自分が好きな”美しい”事を成し遂げる(それも亀ではなくアキレスとして)ためにはあそこまでの事をしなければならないのか、そしてそれを成し遂げたとしても、もしかしたら待っているのは地獄と変わらないような残酷な光景なのかもしれない…。そう思うと、少なくとも私にとって堀越二郎の生き方とは恐ろしいモノだと思うのですよな…。

とはいえ、この二郎の生き方から私が感じたことがあの薄ら寒い恐怖を生んだかと言えば、なんかちょっと違う気がするんですよな(二郎と違う生き方を選ぶ事も大事な生き方だと思うからかもしれない)。じゃあ、あの怖さを生んだモノは何なのか?そのために、私はいつも通りの自分の頭の中での妄想を膨らませていく訳です。



・悪魔は何処に居るのか?
 アレコレ思い返しても見ても、この映画の世界は二郎のための世界であると言ってもいいんじゃないかと思うぐらい、全ての出来事が二郎が”美しいモノ”を作り上げるために存在してると感じるわけです。”美しいモノ”を追い続ける彼に自分の命を削ってまで尽くしてくれる妻、彼の才能と人柄を愛してくれる上司、切磋琢磨してくれる同輩、自分の手足と名って働いてくれる同僚等等、彼を取り巻く人々や彼に与えられた環境、悲劇的な出来事すらも、全てが彼が”美しいモノ”を作るために必要なことではないかと思うほどに。
 でも、果たして人一人の人生の歯車がそんなに都合よく回り続けるのだろうか。そんな存在が仮に存在するとすれば、それこそ神に、いや悪魔に選ばれた存在だと思うのですよ。まるでオーメンのダミアンのように…。もしかしたら、いや、もしかしなくても、実は二郎もダミアンと同じく悪魔がこの世に遣わした存在であり、知らず知らずに悪魔の命ずるままに”美しいモノ”を追い求めてるんだよ!
 と、キバヤシ並みのテンションで妄想が突っ走ってしまいましたが、もし二郎が悪魔に近しい存在だとしても、私自身がその事に恐怖を覚えるだろうか。多分、それは無いと思うのです。寧ろ、彼の存在が悪魔であってくれたほうが、周りの人々が悪魔に魅入られた存在であってくれたほうが、この薄ら寒い恐怖心は薄れていくと思うんですよ。だが、彼はただの人間なのだ。

 じゃあ、ただの人間である二郎が”美しいモノ”を追い続けることが出来る存在で居られたのだろうか、モチロン彼自身の資質がそうさせたのは疑いようはないし、天の采配みたいな運命的な要素もあると思う、でも、一番大きいのは映画の登場人物たちというよりも寧ろ我々の中にある”美しいモノを追い続ける人”を求める心なんじゃないだろうか。自分自身がそこまでの意思や才能を持ち得ないからこそ、誰かにその事を成し遂げて欲しいと思うことは往々にしてあると思うし、私自身その事は素晴しいことだと思うのです。
 でも、”美しいモノを追い続ける人”へ彼らの思いが集い、その成果として”美しいモノ”を作り上げていく姿を見て、何故か少しづつ恐怖心がこみ上げて来たのです。多分そこには、渦中に居る人たちはもちろん、象徴である二郎ですら制御できないような大きなエネルギーを持っていて、そしてその成果である”美しいモノ”すら、時代のうねりという中で二郎が意図した形ではない形で消費されてしまう。ただし、その時代のうねりを作り上げたのも、特定の誰かじゃなくて、我々が”美しいモノを追い続ける人”を求める心と似たようなモノだと思うんですよな。そう考えると、彼らとダミアンを崇拝する面々とにどれだけの差があるのか、なんて事を思うのですよ。


 恐らく、私自身も二郎のような直向に”美しいモノ”を追い求める人に出会ったときに、その人に何かを託すかもしれない。でも、託すことで生まれる結果にキチント向き合うことが出来るのだろうか、そんな事を思う映画でしたよ。