俺と「Mommy/マミー」

 グザヴィエ・ドランの最新作「Mommy/マミー」を初日に見てきました。正直なところ彼の前作「トム・アット・ザ・ファーム」は、彼のそれまでの作品に比べると好きといえない―むしろ高まった期待値とは別の方向の作品だったと思うと嫌いな作品かも知れない―作品でした。なので、この作品についても、期待半分・不安半分の気持ちで見にいく事になったと思います。ただ、ちょうど1週間前に予告編を劇場で見た時に、期待が不安を上回る感じになったけどね。


 映画の感想でこういう不思議な話が出てくると私自身話半分に聞いてるのだが、映画を見終わった後から頭痛がし始めた。映画自体は何もにも変えがたい彼自身の作品としか言いようの無い本当に素晴しい作品だった。これは確信を持ってい言える。
 でも、多分この映画の持っている力―ストーリーや登場時人物のキャラクター(もちろんそれを演じきった役者陣の力も含めて)特徴のある画面構成や音楽の使い方も含めて映画の力としか言いようの無い何か―が、映画を見ている我々の頭に直接彼がこの映画を描きたかった事を注入してくるようなそんな強烈な作品だったので、私の頭がそれに耐えられずに頭痛を引き起こしたのではないか。そんな風に思ってしまうほどの作品だった。


 もちろん、一夜明けた今は頭痛はすっかり引いて、それ自体何事もなかったような感覚なのだが、この映画が私に植え付けたた何か。感想というほどに程遠い―正直なところこの映画の持つ力が凄すぎて肝心なストーリーの部分が全く咀嚼できていないように思うのだが―何かを書いておこうと思う。


・画面の持つ力
 この映画は基本的に縦横1:1の正方形の画面で構成されており、普段の映画の横長の画面から程遠い形に初めは若干の戸惑いを覚えた。普段はあるべき場所に描かれてるものはただの黒い画面であるのに、そこに何かがあるように感じてしまう。さらに、この作品でもドランはアップの画面を多用するのだ、この正方形の中に何かを無理やり押し込めるかのように。その画面がもつある種の圧迫感、登場人物が感じているかも知れないその圧迫感は、見ている私にもヒシヒシと伝わってくるのだ。
 ただ、彼がこの画面で描くのはその圧迫感だけではない。例えば、主要な登場人物(母:ダイアン・息子:スティーブ・隣人:カイラ)の全身があの狭い正方形の中にぴったりと納まるシーン。前述の圧迫感とは対照的な、計算されたとしか言いようの無いようなその画面構成の美しさは、正方形内に人物を収める黄金比とも言うべき美しさを持っていると思った。そして、ここでは詳しくは触れないが、見ている人が思わず息を飲むあのシーン。あのようなシーンを見るためだけに、私は劇場で映画を見ているのだ!
 そんな事を思わせるほどに、彼の持つ画面に対するこだわりはコチラを惹きつける力を持っている。


・音楽の持つ力
 前々作「私はロランス」でもそうであったように、この映画でも要所要所で印象的な音楽が使われている。例えば、スティーブがスーパーの駐車場で回るシーン、スティーブがカイラをダンスに誘うシーン、そして飲み屋でスティーブが女性店員とデュエットするシーンなど、印象的なシーンは常に音楽で彩られている。それらのどのシーンを切り取ったとしても、ただそれだけで最高のミュージックビデオになるような、そんなシーンばかりの作品だ。もしかしたら、他の曲でも同じような感動が得られるのかも知れないが、今の私にはあのシーンに合う音楽はこの曲しかないとしか思えない、逆のこの曲にあうシーンはこのシーンしかありえない、そんな風に思うほどに特別な音楽だと思った。
 ただ、この映画の音楽は単純なBGMではないのだな。スティーブは多くのシーンでヘッドフォンをし、CDプレイヤーで音楽をかけ、お世辞にも上手いとは言えない歌唱を披露する。だから、これらの印象的なBGMは、全て彼らが私たちと同じように体験している音楽でもあるのだ。その一体感が生み出す力が、彼らの思いが映画を見てる側の私たちに伝わってくる原動力になっていると思うのだ。


・役者の持つ力
 頭の中で書きたかった事がぐるぐる回っているのだが、私の頭の中から離れない事を1点だけ書きたいと思う。
 この映画の後半のあるシーンでダイアンが見せる表所、とても私の言葉では表現する事のの出来ないその表情は、コレまでの私の人生でであった事の無い、そして今後の人生のでも出会う事が無いかも知れない表情だった。もちろん、その表情は演じたアンヌ・ドルヴァルものであり彼女の演技力に寄る部分も大きいのだと思うが、それ以上に監督であるドランがどういう指示をすれば彼女のあんな表情を引き出せるのだろうか。ハッキリ言って私には皆目見当もつかない。そして、私はあのシーンのあの表情から、彼女の持つ感情が自分の頭に流れ込むように感じたのだな。そんな役者の持つつ力を引き出す作品でもあったのだ。


 長々と色々書いてきたが、私自身がこの文章がこの作品の持つ魅力の根源に触れているとは全く思えてはいないし、未だにこの作品が自分にとってどんな作品だったのかすら上手く整理がつかない。もしかしたら、何度も鑑賞すると何かおぼろげに見えてくるのかもしれないし、逆に始めて鑑賞したときに感じた感覚が薄れていくのかも知れない。
 ただ、私の人生の中でかけがえのないほどに強烈な印象を残した作品であることは間違いないし、そんな素晴しい作品を生み出してくれたグザヴィエ・ドランに感謝したいと思う。そんな風に思える作品でしたね。