俺と「リップヴァンウィンクルの花嫁」

 岩井俊二監督の「リップヴァンウィンクルの花嫁」をちょっと前に見ました。
初めて岩井俊二監督作品を見たのですが、とにかくその寓話のような世界観とそれにマッチした役者陣に魅了されて、コレはなんか感想書かないとな…と思うような作品だったのでした。
 特に主演のふたり、黒木華(最近きちんと読めるようになった)と綾野剛はどちらもとても魅力的なキャラクターで、綾野剛はそのトリックスター的な存在―ちなみに、私は今でもあの作品の中での彼は人間ではなくて、おとぎ話に出てくる人のふりをした悪魔のような人間以外の存在だと思ってます―が、まさに彼のために生まれてきたキャラクターだと思ったのですが、この感想では彼ではなく、黒木華が演じた皆川七海というキャラクターについて感じたことを記しておきます。


 「はたして彼女は何か変わったのか?」これはこの映画を見終わった直後から私の中に浮かび続けている疑問だ。多くの映画と同様に、七海は劇中で我々常人が3回生まれ変わっても体験しないような経験をする。普通の映画であれば“七海はこの経験で得た何かを糧に、彼女なりの人生を歩み続ける!”そんなことが見終わった後に思い浮かぶのだが、この映画の先にある彼女の人生を私なりに考えてみても、それが何なのか私にはよく分からない。いや、このことが悪いとかそういう訳では全く無くて、むしろここまで私の心に印象を残しているキャラクターであり、しかもあれだけの経験をしているはずの彼女なのにもかかわらず、「彼女は変化したのだろうか」ということがずっと引っかかり続けているのだ。
 皆川七海とはどういった人物なのだろうか。その事を考える上で私にとって最も印象的なのは、映画の前半で夫の不倫をバラされてしまった不倫相手の彼氏に向かって彼女が「アチャー」言い放つシーンである。普通…というか私なら愛する人の不貞行為に直面した時には、怒りや憤りなどの負の感情が噴出したり、あるいはそんなことはないと否定したりする行動をとるのだと思うが、彼女が放った一言は「アチャー」なのだ。
この発言、映画の中の人、事件の関係者が言い放った言葉というよりも、どちらかと言えば映画を見ている我々がするような、ある種の俯瞰的、自分を客観視しているような発言に感じたのだ。そんな彼女のどこかしら浮世離れした、地に足ついていないそんな様子に私自身は何とも言えない親しみを覚えるのである。
 「自分自身を強く持て」「自分なりの生き方」このような“良し”とされている生き方は、皆川七海の生き方とは全く対照的なように映る。ただ、一方で彼女自身の生き方はそんな“良し”とされる生き方に相通ずるような部分、多くの人にとって普通とされている生き方をなんとなしに選択しているような気がするのだ。例えば、夫となる男の出会いにしても「最近はみんなこういう感じだから」とSNSで出会って関係を持ち、彼女の結婚式にしても“いかにもありそう”な“心のこもった”演出(見てる側はそこに悪意を感じるのだが)がなされている。また、彼女の職業である派遣の教師にしても、恐らく私と同世代の彼女の選択として“いかにもありそう”なのだ。そんな“いかにもありそうなこと”を受容する彼女は、ある種私を含めた同時代の人間を象徴しているようにも感じて、そこに何とも言えない親しみを覚えたのだと思う。 しかし、そんな彼女のもつ性質、極端ともいえる他者を受容するその性質が、必ずしもこの映画で否定されているとは思わないのだ。
 七海の特性とでもいうべきその受容性は、確かに彼女に大きな変化―失業であり、結婚であり、離婚でもある―を与え、その多くは彼女にとってマイナスの影響を与えたものだと感じる。しかし、一方で彼女が持つその受容性を求めた人、それは真白であり、引きこもりの少女であるのだが、彼女受容性こそが救いであったように思う。だからこそ、私は彼女のこの特性が否定されているようには、むしろ素晴らしいものとして描かれているように思うのだな。


 初めの問いに戻ろう。「はたして彼女は何か変わったのか?」これに対する答えは「私は何も変わってないと思う」になるのだな。
 もし、映画の先の七海の人生があるとしても彼女は何かを受け入れ続けるんじゃないだろうかと、私は思う。多くの人が自分だけで選択できるような強い人間ではないように、何かを受け入れ続ける人生というのも我々が思ってる以上に価値のあるものなのかもしれない。そんなことをふと思ったりする映画でした。


俺と「X-ミッション」

〜ある雨の日の午後〜

「ヘイ、マイク!久しぶり。」
「どうしたんだいフィル?」
「いやー、久しぶりに映画でも見ようかと思ってるんだけど、最近見た映画でインパクトの強い作品ってある?」
「あるにはあるけど…な…」
「じゃあその作品教えてよ」
「…。よし分かった!まずは言っておきたいことがある。この作品、そんなに面白くないから!」
「いや、できれば面白い作品のほうが…」
「ちょっと待て!君が言ったのはインパクトの強い作品だろ。この作品、インパクトだけは最強だから!」
「とりあえず話を聞いてから考えて見よう。ところでそんなインパクトのある作品って何なんだい?」
「そりゃもちろん『X-ミッション』さ!!」
「あー、テレビとかで何回かCM見たなー。確かにインパクトのありそうなアクションシーンが流れてたなー」
「いや、この映画がインパクトあるのはそこじゃないから」
「えっ??」


「いやいや、どう考えてもアクションメインの作品でしょう。じゃあ何がインパクトあるっていうんだいマイク?」
「それがオザキ8さ!!」
「…そ、そのオザキ8と言うのは一体何なんだ?」
「一言で言うと概念かな…」
「いや、全く意味分からないよ。マイク…」
「具体的にいうと、自然への感謝を表してるんだよ」
「ああ、それならちょっと分かる気がするな」
「ちなみにこのオザキ8を信奉する敵役たちは山に登る途中でゴミを拾ったり」
「あー地球を大切にってことな」
「山の頂上から飛び降りたり」
「なるほ、…え?」
「でもって、鉱山を爆破したりするんだよ!」
「いや、それむしろ自然を破壊してないか?」
「あと、活動資金集めるために銀行強盗したり、パーティしたりもする」
「いや、自然への感謝どこ行ったよ!!!」

「まあ、そこら辺の細かいことは置いといて、ようは『自然への感謝を表すために困難なことに挑む』これがオザキ8ってことだよ」
「まあ、そういうことにしておこう。しかし、コレが何でインパクトあるのか良く分からないんだが…」
「考えて見ろよフィル。この概念を遣えば多くの映画の出来事が説明できるんだよ!」
「全く理解できないんだが」
「例えば、『オデッセイ』な」
「あー、あの映画のマット・デイモン凄かったよな。あんな状況になったら俺はすぐ死んでると思うよ」
「何故、あの映画で彼があんな過酷な状況に耐えれたのか分かるか?」
「そりゃ、何としても地球に帰りたかったからじゃ…。まさか…」
「そう、彼は火星の過酷な状況に挑むことで火星への感謝を表してたんだよ!あれこそオザキ8の体現だ!!」
「…(絶対無い)」
「つまり、オザキ8と言う概念を使えば『オデッセイ』も『マット・デイモンが火星でオザキ8に挑戦する映画』になる訳だよ!」
「…(これはヤバイな、完全にイッちゃってる)」
「他にもサンドラ・ブロックが宇宙でオザキ8に挑んだりしてるし、様々な映画でオザキ8の影響を垣間見ることはできるんだよ」
「…(こっ、こじつけなんじゃ)」
「他の映画にも影響を与えるオザキ8という概念。こんなインパクトのあるモノは滅多にお目にかかれないよ思うよ!」
「…もう、分かったよ。とりあえずオザキ…じゃなかった『X-ミッション』借りてみるよ」
「念を押しておくけど、映画としてはそこまで面白くないからね。」


〜時は流れて〜

「フィル、久しぶりだね」
「やあ、マイク。こないだ言われた『X-ミッション』見たよ!確かにマイクの言うとおりだったよ!」
「良かった。オザキ8の凄さを君も理解してくれてうれしいよ!」
「そうなんだ。その後『さざなみ』っていう映画を見たんだけど、確かにこの映画にもオザキ8が感じられたよ!」
「へー、ちょっと知らないけどどんな映画なんだい?アクション映画?」
「いや、結婚45周年のパーティを目前に控えたある老夫婦のもとに一通の手紙が届いて、夫婦関係が徐々にギクシャクしていく物語なんだけどね」
「へー、なんか静かな物語っぽいね」
「そうなんだよ。ただ、その一通の手紙って言うのが、氷山が溶けて旦那の元彼女の死体が見つかったていう内容なんだよ」
「…(おかしい、オザキ8を感じそうな要素が全然無いぞ!)」
「つまり夫婦関係がギクシャクし始めたのは手紙のせい→死体が見つかったのは温暖化のせい→温暖化しなければこんなことにはならなかった→地球への感謝が足りない→オザキ8をすべきだった!、こういう論法が成り立つわけだよ!」
「…(こいつは俺よりも数段危険な、まさにオザキ8原理主義者じゃないか!)」
「いやー、確かにどんな映画にもオザキ8は存在するねー。ホント凄い映画だよ!」
「そ、そうだね…」
「いや、むしろオザキ8が存在するのは映画だけじゃなくて、我々の人生にも一人一人のオザキ8が存在するかもしれない…。よし、マイクこれからは僕たちのオザキ8を探して行こうじゃないか!」
「なんか色々スマンカッタ…」

俺と「2016年1月の映画 その2」

 やー、年度末になると色々仕事だったり仕事以外のことだったりでどたばたして、書きかけの1月に見た映画のことをまとめるのもままならない始末。ともあれ、年度が替わるまでにはなんとか無かったことにならないよう、1月に見た面白い映画のことをさっくり書きましょう。


「Comet-コメット-」

 まず、皆さんに知ってほしいということは、この映画のヒロインであるエミー・ロッサムが可愛いどころではない騒ぎの超可愛さだということである。そりゃ、主役のジャスティン・ロングも(もちろん俺も)一目ぼれするわけだよ! というわけで、超可愛い女の子に一目ぼれしてなんとかして付き合って…と、ざっくり言うと「(500)日のサマー」みたいな作品です。ただ、ジャスティン・ロングはJGLよりもちょっとイヤなヤツです。そんなちょっとイヤなヤツが、大好きでたまらない女性のこと大事に思いつつも、色々めんどくさいことを言ったり、プライドが邪魔したり、その結果ケンカしたりする映画です。もうね、お前は俺か!!
 そんな自分の恋愛観をビシビシ抉ってくる映画でしたが、「(500)日のサマー」が大好きな私は当然この映画も大好きな訳で、早くソフト出てくんねーかなー、と思いながら日々すごしてます。


「あの頃エッフェル塔の下で」

 さて、私が勝手におフランス映画がらしいと感じるポイントが3つあります。まず、登場人物が美男美女、次にそんな二人が意外とスパッと脱ぐ、そして、登場人物たちはところ構わずタバコスパスパ吸うこと。もちろん、この映画もそんな三つのポイントを抑えたおフランス映画でした。
 十代後半から20代前半に欠けての主人公とヒロインの遠距離恋愛が主な映画のテーマなんですが、この映画もヒロインのルー・ロワ=ルコリネちゃん演じるエステルが可愛いです。こっちは、ちょっとツンとした感じとかが、高嶺の花って感じで良いのです。ただ、こちらの共感というか痛いところをグサグサえぐってきた「コメット」と違って、自分勝手な主人公と高飛車なヒロインという全然共感できないカップルなのに、何故か彼らの関係の行く末、関係の変化が気になってしまうのも、なんというかおフランス映画らしいなと思ったのでした。
 あと、この作品も性を媒介にした関係性が非常にオープンというか、いかにもという感じで印象的ですが、昨今の芸能ゴシップの例にも漏れず、日本人がやっちゃうと倫理的にアウトだと糾弾されると思いますね!


「メニルモンタン 2つの秋と3つの冬」

 この映画も相変わらず、あの外見なのになぜかキャラを演じることが多いモテるヴァンサン・マケーニュが、ご多分に漏れず今回もモテるキャラを演じていて、その彼女とイチャイチャしたり、喧嘩したりする映画です。もちろん、ヴァンサン・マケーニュ大好き人間の私にとってはそれだけで100点以上は固い作品でした。 というか、ヴァンサン・マケーニュでてるんだから、それだけで特に解説しなくても良いんじゃないかと思います!
 そんなヴァンサン・マケーニュ演じる主人公が、33歳になったときにランニングを始めることから映画は始まるのですが、 ちょっと前に俺も33歳になったばっかりだし、早く週に二回近くの公園をランニングしないと!



ヘリオス 赤い諜報戦」

 犯罪集団ヘリオスに韓国政府が極秘開発してた小型の核兵器DC-8が盗まれてしまい、ヘリオスが香港でDC-8の取引をするという情報を入手した、香港警察、中国公安、韓国政府が入り乱れて…というお話ですが、とにかく細かいことには突っ込んじゃダメ。とにかくこの映画の世界観に身を任すのです。
 私は映画を見るときは先の展開を予想しながら見ちゃうときが多いのですが、この映画はこっちの「多分こう来るな…」っていう展開になったり、ならなかったりしますが、そんな私が「もう予想するのに疲れた…」と言いたくなるほどの矢継早すぎる展開。徐々に頭の中に浮かんでくる「どうやって風呂敷を畳むんだろうと…」という疑問。そして、上映が終わった瞬間に「えっ?えっ?」と周りの人の様子を伺いたくなるようなラストのオチ。そういう部分も含めてとても香港映画らしくて印象的な作品でした。
 


「最愛の子」

ある日、突然わが子を失うことになった親子のわが子を探し求める困難な様子を描く作品ですが、それ以上に今の中国が抱える様々な問題が浮かび上がってくる作品でもありました。
例えば、主人公である母親のジュアンは大都会深センに住み、アウディに乗るキャリアウーマンで、日本人から見てもかなりの裕福な様子がうかがえる一方で、同じ大都市にありながらも日銭を稼ぐために日夜働く出稼ぎの労働者などの、中国が抱えている圧倒的な格差の対比。また、驚くべきは主人公たちと同じような悲劇が数多く存在しており、劇中では主人公の家族以外にも様々なわが子を失った家族がお互いを慰めながらも、小さな希望にすがりつくように生きている様子胸が痛くなるやるせなさでした。
ただ、この映画そういう悲劇性、社会描写以上に心に残ったのは、ラストシーンに監督から投げかけられているある問いかけでした。普通の映画は幕が下りるとおもにその作品の世界は閉じられるのですが、この作品については、幕が下りたその後を各々が考えるそんな作品でしたね。

俺と「マネー・ショート」

〜ある昼下がりの午後〜

「ヘイ、マイク!久しぶり。」
「どうしたんだいフィル?」
「いやー、先日マネー・ショートっていう映画を見たんだけど、説明が全くチンプンカンプンでさ…。で、こういうことに詳しそうな君に色々聞きに来たわけさ!」
「よし、分かった!じゃあ、まずはこの映画の題材となってるMBSを説明しよう。MBSっていうのはモーゲ…」
「ちょっと待った!もうその時点で意味わかんねーから、もっと分かりやすく例えてくれよ!映画とかで。」
「…。よし分かった!まずはMBS。これな、めちゃくちゃ強い。」
MBSはめちゃくちゃ強いのか…。どのくらい強いんだ?」
「ドニーさんと同じぐらい強い。もう宇宙最強。」
「そいつはヤバイな…。」


「だからもうMBSはドニーさんだとしよう。そんなドニーさんのことを俺が”おい、宇宙最強のドニーさんが負けてしまうぞ!”って言い出したらどうする?」
「そりゃ、頭大丈夫かと思うし、下手したら友人関係も考えるな…。」
「これが映画の中のクリスチャン・ベールな!」
「マジか…。俺が投資家だとしたら、こんなこと言うやつから金引き上げたくなるわ…。」
「よし、じゃあ話をドニーさんに戻そう。フィルは何でドニーさんが宇宙最強だと思うんだ。」
「そりゃ、三段蹴りみたいな凄いアクション見せられたら宇宙最強だと思うし、知り合いも皆ドニーさんが宇宙最強って言ってるよ!」
「フィルよ、しっているか?最近のドニーさんの蹴りが三段蹴りじゃなくて、2.8段蹴りぐらいになってるっていうことを…。」
「…いや、そんな訳ないだろ!だってドニーさんは宇宙最強なんだぜ!仮にもしそうだとしても、じゃあドニーさんはいつ、誰に負けるんだよ!」
「そいつは分からん。俺が言えるのは近々ドニーさんが負けて死ぬということだけなんだ。」
「はっ?じゃあどうやって大金を稼ぐんだよ!いつ負けるかも分かってないなら賭けにも出来ねえよ!!」
「そこでだ、映画のクリスチャン・ベールはドニーさんの生命保険を買ったんだよ。これがCDSな。」
CDSは生命保険と…。」
「そこで保険屋にドニーさんの生命保険の価格を聞いて見よう、おーい、保険屋!」
「まいどー。」
「ドニーさんの生命保険を買いたいんだが、1億円分だとどの位の金額になるんだ?」
「お客さん本気で言ってるんですか。ドニーさんは宇宙最強だから死ぬわけないですよ…。まあ仮に入るとするなら、掛け金は月千円ぐらいですかね。」
「よし。じゃあ、フィル名義で100億円分くれ!」
「まいどー!」
「おいおい、マイク、そんなに買って大丈夫なのかよ…。俺そんなに金持ってないぞ。」
「俺を信じろ!」
「ハイ、じゃあコレがドニーさんの保険証書ね。毎月掛け金はちゃんと払ってくださいね。」
「マイク…どうすんだよ…。」

〜時は流れて〜

「おい、マイク聞いたか!ドニーさんが…ドニーさんが…」
「おいおい、フィル。浮かない顔してどうしたんだ。」
「お前、宇宙最強のドニーさんがアイツに負けて死んだのに、何で平気な顔してるんだよ!」
「そんなことより、保険金の受け取りに行こうぜ!100億円分の保険金で大もうけできてるはずだし。」
「いや、ドニーさんが死んだって言うのに保険金受け取ってる場合じゃないだろ…。」
「フィル。今君が感じてる何ともいえない感情、この世界が今後どうなっていくかも分からないことに対する感情が、あの映画で多くの人々が感じてた感情なんだよ。」
「マイク…。」
「じゃあ、ひとまず保険金を受け取りに行こうか…。」



<補足>
もちろん、ドニーさんは宇宙最強なので負けて死んだりはしません!
ということはおいといて、この映画の三者クリスチャン・ベールとスティーブ・カレル、ブラット・ピットたち)はそれぞれ役割が違ってます。
今回のたとえ話だと、MBS市場の崩壊を予想しCDSを使うことを思いついたクリスチャン・ベールに焦点を当てた内容になってますが、他の二者にももちろんそれぞれの役割があります。あくまで数値の上で債券の破綻を予言したクリスチャン・ベールに対して、実際に現場に足を運び、MBS市場の欺瞞の裏を取ったスティーブ・カレル。そして、AAAランクの債権にもCDSを設定した、今回の例えにあわせるならドニーさん以外にもロック様とかジェイソン・ステイサムとかの保険金も買ったという、ブラット・ピットたち。これら三者の関係はホップ・ステップ・ジャンプって感じだったと思います。
あと、映画では、金融機関の欺瞞に対してある種の義憤のような気持ちでCDSを買っていたはずなのに、その利益を得ること事態が金融制度の環の中から逃れられないという事実に葛藤するスティーブ・カレルの視点がラストに来るわけですが、今回のたとえ話だとちょっとそこまで盛り込めなかったのは、私の力不足ですね…。

たとえ話が間違ってたらごめんなさい!(この文章に対するCDS

俺と「サウルの息子」

「Arbeiten!」
「アルバイテン!」これは大学時代にドイツ語を履修していたにも関わらず、1から10まですら満足に言うことも出来ない私にとって理解できる数少ないドイツ語の一つだ。この単語は「働く」ことを意味する動詞だが、劇中では何度も何度も主人公たちゾンダーコマンドを急き立てるように、ナチスの親衛隊が「働け!」「働け!!」とこの単語を繰り返す。しかし、この単語が劇中で訳されることは殆どない。彼らゾンダーコマンドは死のために働き、働いた先に彼らを待ち受ける運命もまた死である。そんな彼らにとってこの単語が持つ意味はあってないようなものに等しく、他の言葉と同じくただの音として処理されているのかもしれない。
 このように、この映画の中では訳されないもの、映されないものが非常に多い。主人公サウルに焦点を絞り彼に極端に寄った映像を映すカメラからは、この施設で何が行われているのかを俯瞰的に説明されることはほとんど無い。ただ、ときおり描写されるおぞましい何か、いや描写すらされない彼らの言葉にもならない叫び声から、私はこの施設が私の想像すら生ぬるいような場所であること感じるのだ。だが、そのカメラの中心に常に映るサウルからは、彼が何故そんな行動を取るのか、その理由を彼が語ることはほぼ無いのだ。
 この映画を見終わった直後は、まるで自分がそこにいたかのような体験をもたらす映像とこの映画で描かれる内容、それこそ壮絶という言葉すら生ぬるいほどの内容が、フィクションではなく現実として存在したのだということを、まざまざと私の中に植えつけたように感じた。ただ一方で、時をおけばおくほどにまた別の思いが私の中で強くなっている気がする。それは「何故、サウルはあのような行動を取ったのか?」ということだ。もちろん、劇中でコレに対する明確な答えは無いのだが、この映画を自分の中で消化するために決して避けて通れないことだと思うので、ちょっとコレについて考えてみようと思う。

サウルの口からは多くは語られない息子や弔うという行為のことだが、この映画では息子に関する直接的な発言や、サウルの目的に関する描写が存外多い。例えば、思いつくので以下のようなものがある。

・サウルに息子はいないとする友人の発言(果たして本当に実の息子なのか?)
・サウルの名を知る女性と反応が薄いサウル
・ラビの真偽(あの男は本当のラビではないのではないか?)
・果たされぬ目的(結局息子は正式な手続きで埋葬されず)
・ラストでの笑顔

この中でも特に多くの人の心に残るのが、あの子が彼の息子であるかどうかの真偽(それをサウルが気付いているか否かも含めて)ではないだろうか?
もし、彼があの子を息子だと信じているのだとすれば、血を分けた息子のために何かをしてやる父親という物語になるのだが、私はそうではなく「彼自身はあの子が息子であろうとなかろうと、弔うことに価値を見出しているのではないか」そう思うのである。
もし、彼が息子を弔うことを目的としているのならば、そのことが果たされていない(少なくとも私にはそう思える)のに、何故彼はラストでまるで憑き物が落ちたような、それまでとは全く違う表情を見せたのだろう。このことが引っかかってしまうのだ。だからこそ、私はサウル自身が弔うことそのものに意義や秘めた思いを込めていたのではないかと思うのだな。
では、弔うことに込められていた彼の思いとは何だろうか?

この施設では、彼らの同胞やそれ以外の人々も含めて、人であることを奪われ、ある種の原料のように処理(=殺害)され、ただの灰として川に捨てられていく。そして、彼ら自身もその工場を動かすただの歯車のように、ときにナチスから叱責されながらも淡々と作業を繰り返していくのだ。この施設の目的がユダヤ人を含めた人たちの人間性を奪うことにあるとするのなら、サウルの行う弔うという行為は人であることを奪われた人たちの人間性を取り戻す、施設の目的と対極にある行為なのではないか。
そう考えると、サウルは自身の息子を弔うという行為を行うことで、彼自身がこの施設に抵抗しようとしたのではないだろうか。そう、多くのユダヤ人が行おうとした暴力による反乱とは別の手法を用いることで…。

それならば、彼にとってはあの子が息子であろうとなかろうと、さほど大きな意味を持たないであろうことも、彼の抵抗が誰の理解を得られないことも理解できる気がするのだ。さらに、目的を達成できなかったにも関わらずサウルが森の中の少年に向けた笑顔の持つ意味も、彼の真の目的である「人間性を取り戻すこと」を達成できた証だと私は思うのだ。


もちろん、これは私の勝手な解釈ですが、この映画にはあの施設の絶望的な状況を描く以上に、サウルの持つ行動に何かの意図があったような、そんなことを強く感じた作品でした。

俺と「2016年1月の映画 その1」

「2016年はもうちょっときちんと映画の感想書きたいな…」などと思ってましたが、なかなか1本の映画についてまともな感想を書くのは結構難儀なものです。ただ、このままずるずるいったのでは、年末にまた「今年何見たっけな…」と迷うことは間違いなし!という訳で、一月単位で見た映画の中で印象的な作品をまとめて見たいと思います。ちなみに今月は良い作品が多かったので2回に分けて、かつ紹介する順番は見た順です。


「ストレイト・アウタ・コンプトン」
ギャングスタ・ラップの伝説的なグループ「N.W.A」の伝記的映画ですが、私自身この映画で取り扱っているギャングスタ・ラップという文化には非常に疎い、というか全く興味もない人でした。しかし、そんな興味のない私でもグイグイと引き込まれていく非常に面白い作品になっていましたよ。
若者たちがとてつもない成功を収める成り上がりの物語である一方で、成功のもたらす闇が彼らの友情を壊していく転落の物語でもあり、まさに音楽業界の光と闇を描いた作品です。イーストウッドが「ジャージ・ボーイズ」でも音楽業界の光と影を描いていましたが、それよりもはるかに生々しく、そして暴力的な作品(特にシュグ・ナイトのやばいオーラが半端ない!)でした。一方で同時代のアメリカに住む黒人の若者を描いた作品でもあり。彼らの音楽が持つ強烈なパワー、特に「F●●k The Police」はその象徴であり、それらが生まれるきっかけやライブという形で爆発していく様子は、若者だからこそ描ける彼らの抑圧された状況に対する強いメッセージが、人種や国、時代を超えて共感を生んでいくようにを感じました。
ちなみにアイス・キューブもこのグループの出身ですが、その本人を彼の息子が演じています。これがめちゃくちゃオヤジ似で、やっぱ親子だよなーなんて思うほどにそっくり!


ブリッジ・オブ・スパイ
この映画はまさに”重厚”という言葉がピッタリな作品だと思います。例えば、冒頭にある追跡劇。台詞でのやりとりは全く無く、ただ視線のやり取りだけでなにか不穏な状況を演出しており、カッコいいシーンというよりも渋い、激シブなシーンで、この映画を象徴してるシーンだと思いましたね。
映画は冷戦下の対立の中で自分の正義を貫き通す男たちの物語です。それぞれに立場や信念があり、それを超えたときに感じるお互いの絆にジーンとするのですが、特にトム・ハンクス演じる主人公の人間的な魅力にあふれるキャラクターに、私はキャプテン・アメリカを思い出したりしましたよ。キャプテン・アメリカはその正義が揺るがないことが、その能力よりも彼をよりヒーロー然とした存在にしていると思うのですが、今回のトム・ハンクスも終始一貫して「彼の中の正義を貫くこと」に揺らぎが無いのです。そういうブレなさ(これはもう一方のマーク・ライランスにも言える)がこの物語の魅力の一つなのかなと思ったりしました。


フランス組曲
見る前は「ミシェル・ウィリアムズ出てるけど、あらすじ読むとメロドラマみたいだな…」などと思ってましたが、いやいやこれが第二次大戦を描いた重厚なドラマでとても良かったですね。確かに途中まではドイツ軍将校と占領下のフランス婦人の許されざる恋といった感じの作品なのですが、そんなゆるふわムードとは対照的に徐々に高まる不穏な空気、住民たちと地主たちとの関係が徐々に変わっていく様子にだんだんと目が離せなくなりましたね。序盤は恋7:戦争3みたいな割合の物語が、途中から恋3:戦争7にガラッと変わっていった映画といった印象ですよ。
キャストは相変わらず艶やか印象のあるミシェル・ウィリアムズが素晴らしかったのはもちろんのこと、義母役のクリスティン・スコット・トーマスの「あさが来た」の萬田久子ばりの鬼姑も良かったですし、ドイツ軍の若い将校は「ピエロがお前を嘲笑う」のトム・シリングが憎たらしい感じ出たりしてましたね。
ただ、何よりエンドロールに強烈なインパクトがありました。去年の「カンフー・ジャングル」は香港映画愛にあふれた素晴らしいエンドロールでしたが、この作品は原作者への敬意と、彼女がこの物語で伝えたかったその思いが伝わってくるような内容で、映画本編よりも強く印象に残ってます。


「イット・フォローズ」
さて、このホラー映画、80年代ホラーのお約束を踏襲しながらも、「ヴィジット」のようなちょっと変わった感覚が入り混じったホラー映画でした。まず、知ってほしいのはこの映画の3つのルール、
 ①「それ」は他の人からは見えない
 ②「それ」は様々な形に姿を変えてついてくるけど、移動は徒歩のみ
 ③他人に「それ」をうつす手段は性交渉のみ
主人公は80年代ホラーのお約束通りと言って良い大学生の可愛いお姉ちゃんなんですが、ある日「それ」を感染されてしまいます。初めは「それ」を信じていなかった彼女も、「それ」と対面する日がやってきて、それの恐怖に気づくというストーリー。
この映画の恐怖の源は「それ」が何かよく分からないということだと思いましたね。もちろん、彼女視点だと「それ」が見えるのですが、そうじゃないと「それ」が近づいてきているのかすらもよく分からない。なので、見ている側はいつ「それ」が来るのかという緊張感を常時もってこの作品を見ているので、「ヴィジット」のババァが来るのか来ないのかという同じ独特の緊張感がありましたね。また、何の変哲も無いただの風景を映したシーンでも、もしかしたら「それ」がうつってるかもしれない、こちら側の想像力をかき立てる作品だなとも思いましたね。
あと、独特のいやーな感じを更に盛り上げるのが、今や絶滅危惧種と言って良い80年代のシンセサイザーが奏でる電子音。その懐かしくて近未来的な感じがこの映画の雰囲気ととてもマッチしてて良かった!


パディントン
パンフレットで知ったのですが、この映画の主人公「パディントン」の声を初めに演じるはずだったのはコリン・ファースだったとのことで、そんなキャラクターの人選からも分かるように、この映画の魅力の一つは、ザ・英国という感じの、英国エッセンスにあるなと思います。
例えば、縦に細長い家の構造や駅の注意書き「犬は抱えてエレベータに乗りましょう」というウィットが効いてる感じ、もちろん冒頭に描かれる古きよきイギリス紳士への憧憬なんかもそうですね。あと、そもそもクマが駅にいるのに特に動じないところからして、何かイギリスっぽいぞ!(行ったことはないけど)また、骨董屋のおじいさんの鉄道模型がお菓子を運んでくるギミックや、地理協会の書類を探し出してくる仕掛けなんかは、去年見た「キングスマン」や「007」といったスパイ映画を彷彿とさせましたね。(もちろん、ミッション・インポッシブルシリーズのパロディも楽しかった!)
そして、もちろんキャラクターがとても良い。パディントンたちのクマ一家もモチロン良かったですが、個人的には、ブラウン夫妻のキャラクターがグッときました。サリー・ホーキンス演じる包容力と行動力がある奥さんと、かつてはやんちゃしてたヒュー・ボネヴィルの旦那さんのコンビが持ってるお互いへの愛情にぐっときました。
まあ、何はともあれマーマレードサンドが食べたくなる映画ですよ!


残りの作品の感想についてはまた後日にでも…。

俺と「2015年の映画」

 年も明け、既に2016年になってしまいましたが、やり残していた2015年の映画について色々まとめてみましょう。

・劇場鑑賞作品数
 新作映画:172本(昨年-43本)
 その他映画:24本(昨年-29本)
  計:196本

・劇場鑑賞回数
 新作映画:174回(昨年‐48回)
 その他映画:24回(昨年-29回)
  計:198回

 ここ数年250本を超えるペースで鑑賞していましたが、今年は鑑賞巣が激減して遂に200本を切る結果となりました。一番大きかったのはここ数年通い続けた未体験ゾーンとかの特集上映に通わなかったことだと思いますが、他にもレイトショーとかに通う回数が減ったりして、以前に比べて無理して映画を見に行くことが無くなったような気がします。
 ただ、鑑賞本数は減りましたが、見逃して後悔する作品はそんなに多くなかったような気もするので、200本を超えても超えなくても全体的な満足度はそこまで大きな変化はないのかもしれませんね。
 と言いつつも、一般的な人から比べれば遥かに多い本数を鑑賞している訳で、今回も好きな映画ベストテン以外のちょっと趣向を変えた色んな部門を発表してみましょう!まずは、映画館部門から、


・一番よく通った映画館

 映画鑑賞回数198回のうち最も映画を見た回数が多い映画館は2年連続で「シネ・リーブル梅田」52回でした。2014年の74回から22回も減っており、未体験ゾーンを卒業した影響が如実に表れていますね。また、2014年は一日5回シネ・リーブル梅田で映画を見るなんてことをしていたのですが、2015年はそういうこともなく、1日3本が最高のハシゴ鑑賞でした。ちなみに2位はMOVIX尼崎の35回、3位はシネマート心斎橋の25回でした。
 シネ・リーブル梅田で見た印象的な作品としては「Mommy」「パレードへようこそ」「君が生きた証」「ゾンビーバー」「フレンチアルプスで起きたこと」「野火」「ナイトクローラー」「ブラック・シー」などがあり、2016年も相変わらずお世話になる劇場だと思いますよ!


 ちなみに最も印象的な思い出は、「ゾンビーバー」の初日初回上映のチケットを購入したら、大雨の影響で電車のダイヤが壊滅的に乱れて結局見に行けず、「こんな映画もう見に行かねえよ!」と悔しさで枕を濡らしたことと、同じ週の金曜日に何故か「ゾンビーバー」のチケットを購入して見に行って、「この映画最高やな!!」と思ったことですね。


ゾンビーバー最高やな!


 さて、続いては今年も映画を見に行ったときに起きた出来事を、針小棒大に話す映画体験部門の発表です。

・俺だけの上映会(2年ぶり2回目)

 2年前に某劇場で「箱入り息子の恋」を鑑賞した時に発生した俺だけの上映会(観客が私だけ)ですが、何と同じ劇場で今年「サヨナラの代わりに」を見たときに同じく俺だけの上映会となっていしまいました。
 予告編が終わり、本編が始まっても周りに誰もいないことに気付いた私はおもむろに…、ということは一切なく普通に鑑賞して普通に帰りましたが、自分の見てる作品に観客が少ないと、「こういう映画上映してくれなくなるのかも…」とちょっと心配になってしまいますね。


 

 お次は2015年に印象に残った役者さんを発表しましょう。


一度見たら忘れられない顔


「誰?このハゲ散らかした頭の人は…」と思われる方も多いかと思いますが、このヴァンサン・マケーニュ映画の中では結構モテるミュージシャン役をやったり、イケてる音楽プロデューサーだったりとその外見からは想像もしない役をやってるんですよ!そんなギャップも印象的なヴァンサン・マケーニュですが、今年は「やさしい人」と「EDEN/エデン」の二本を鑑賞しました。そして大阪では年明けに「メニルモンタン 2つの秋と3つの冬」が公開になるので、こちらも非常に楽しみです。


2015ベスト女優(ババァ)

 今年も印象的な女優さんはいっぱい居ましたが、その中でも群を抜いて印象的だったのが「ヴィジット」のババァことディアナ・デュナガンさんですよ。
 なんせ、夜中にケツ丸出しでタンス?をガリガリする、床下での動きが速すぎる、モチロンゲロも吐くぞという非常にやばいババァなので、映画を見てる最中も普通のシーンなのに何か(主にババァ)が来るんじゃないか?という緊張感に包まれながら映画を見てましたね。


ステイサム・オブ・ザ・イヤー2015

 2015年のステイサム的最大ニュースと言えば、「ワイルド・スピード SKY MISSION」で久々のメジャー級大作映画に悪役として出演したことでしょう。ヴィン・ディーゼルやロック様と対峙して、一歩も引かないステイサムは流石の風格でしたね。また、この作品の冒頭で厳重警備の病院に乗り込んで警備をフボッコにしていくアクションは、ここ数年の彼のアクションの中でもベスト級にカッコよかった出来ではないでしょうか!
 ちなみに、次点は「ワイルドカード」の冒頭で魅せた「ハゲ(ステイサム)が別のハゲを自分がハゲてるくせにハゲだと馬鹿にしたら、そのハゲにボコボコにされてしまう」というシーンでした。という訳で2015年もステイサム充した1年でありました。もちろん2016年もステイサムをよろしくお願いします。


 さて、最後は2015年映画ベストテンの紹介です。



1.「Mommy/マミー」


見てる瞬間から2015年のベストを確信した映画。1:1の正方形の画面が織りなす世界が素晴らしかったな。


2.「海街diary


2015年で最もこの世界に浸りたいと思った映画。この4姉妹で5年後とかに、いやもう毎年映画作って欲しいな。


3.「生きていてすみません!(これが私の人生設計)」


2015年に最も爆笑した映画。イタリア映画祭だけではもったいないとお思ってたら、3月に「これが私の人生設計」のタイトルで公開が決まったのもうれしい!


4.「ピース オブ ケイク」


2015年の映画で一番皆さんに知って欲しかったことは、この映画の多部ちゃんが最高の多部ちゃんで最高だということですね!


5.「パレードへようこそ」


2015年はイギリス映画が好きな作品が多くて、その中でも特にこの作品がとても印象的だったな。


6.「ベテラン」


2015年で一番爽快だった映画。超むかつく悪いやつをぶっ飛ばす勧善懲悪さが最高!


7.「ソロモンの偽証 前篇」


2015年に見た映画の中で一番初めに凄い!と思った映画。後篇でちょっと失速した感はあるけど、それでも前篇の良さは揺るがないと思ったな。


8.「恋人たち」


主要キャストが無名の人たちで、その無骨さがとても印象的だったな。もちろん橋口監督にサイン貰ったのも最高!


9.「君が生きた証」 


音楽って素晴らしいなと感じた1本。サントラを何度も繰り返し聞いたな。


10.「キングスマン


数日前の下半期ベストでは「明日へ」の方が上だったけど、2015年の10本と言われるとこの作品を入れたかったので入れてみました。
中盤の教会のシーンはやっぱり最高!


 とまあ、さっくり考えるとこんな感じの2015年でした。という訳で2016年もぼちぼち映画を見たいと思いますね。