俺と「パラノーマン ブライス・ホローの謎」

 映画の出来は素晴しいのにお客さんの入りが大変寂しいと評判の「パラノーマン ブライス・ホローの謎」を見てきました。
 映画の出来はモチロン評判どおり大変に素晴しかったのですが、お客さんの入りの方も評判通りにあんまり入ってなくて、1回目に鑑賞したときは700人以上入るスクリーンで10人もお客さんが居ないといった感じ…。でも、2回目に別の劇場へ見に行ったときは1回目よりも全然小さなスクリーンでしたが、1回目より多くのお客さんが入っていてちょっと嬉しかったですね。特に、通路を挟んだ隣に座った外国の兄ちゃんと笑いどころが同じだったりして、思わず鑑賞後にハイタッチしたい気持ちを抑えながら劇場を後にしたのでしたよ。


 さて、この映画に私がグッと来たポイントと言えば、まずは80年代のホラー映画リスペクトに溢れた描写!なんせタイトルを見た瞬間から、「ああっ、この映画は最高だな…」なんて思いに浸れるのですよ!「バタリアン」、「死霊のはらわた」、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」などなどの映画が大好きな私は、それっぽい描写が出てきただけで「おー!!」っとテンションが上がりまくる訳です。



このタイトルを見ただけで最高の映画だと思う訳ですよ!



 でも、そんなホラー映画愛よりも更にグッと来たのはやっぱりこの映画の素晴しいストーリーなんですよ。思い返せば思い返すほどにジワジワと温かさが広がってくる優しいストーリー。コレがなければ多分2回も見に行かなかったなと思いますよ。


 さて、映画や漫画のお約束のフォーマットとして、主人公が正しい!ってことがあるわけですけど、正直なところ最近この主人公が強かったりすること、正しかったりする事が意外にしんどいなと感じるようになってきたんですな。例えば、主人公が凄い困難を達成したとしても、「この人えらいなー。でも、俺には無理だな…」みたいな感じになって、共感よりも先に壁みたいなものが生まれたりする訳で…。いや、モチロン「映画だから、そこは割り切って楽しめよ!」という意見、「いや、俺の世界俺が正しくないと滅んじゃうから!」という映画の中の人からのメッセージも重々承知しているんですが、日々のらりくらりと現実をやりすごしてる私に正しさを突きつけられても消化しきれないんですよ。
 「いやいや、別にそこまで深刻にならなくてもいいじゃん!」と思われるかもしれませんが、いい映画(と言うか私の好きな映画だな)って自分の中の共感って感情を上手く呼び起こして、その映画の世界の中にスルスルするっと没入させてくれる、そんな映画だと思ってるんですよね。それが例え、宇宙から攻めて来た化け物戦う世界だったり、ゾンビが人間を襲う世界だったとしても、自分だったらどうするのかって考えさせてくれるような映画が好きなんですよ。
 そんな映画の世界に入り込んだ状態の中で、いきなり強いこと、正しい事を大上段から提示されると、一気に現実の世界に引き戻される感じがするんですよ。そして、そういう瞬間に立ち会うと「この映画っていい映画だけど、俺の映画じゃなかったな…」なんて思ったりします。


 じゃあ、振り返ってみて「パラノーマン」のストーリーで私が最も素晴しいと思ったのは、主人公がこの映画での問題を解決する鍵となる行動が、自身の持つ特殊能力でもなく、私がたじろいでしまうような正論でも、強い意志とかでもなく、ただ、ちょっと人生に行き詰まりを感じてるような人の肩をそっと優しく叩いてあげるような優しさだったという点です。
 現実問題として、私自身がアギーのようになったり、ブライスホローの人たち(過去も現在の人たちを含め)のようになったりしてしまう事はあると思うし、多分人生の中でも何度となくあったと思う。と同時に、多くのアギーやブライスホローの人たちに出会ってきていると思う訳です。そんな時に私の中のノーマンやニールは顔を出してくれるだろうか…。そうだといいな…。そんな事を何度も思い返す映画でした。



大した事は出来なくても、大事なことが出来る二人だったな。