俺と「ウィ・アンド・アイ」

 ミシェル・ゴンドリー監督作の「ウィ・アンド・アイ」をシネリーブル梅田へ初日に見てきました。見終わった直後もミシェルゴンドリー監督作で一番好きな作品だなと思ったんですが、1日たってアレコレ思い返していくと、昨日よりも今日の方がよりこの映画の事を好きになってる(そして多分、明日の方が更にこの映画の事を好きになってるんじゃないかな)素晴しい映画でした。



 この映画、NYに住む高校生たちが夏休み前の下校時間のバスの出来事を見せることで、まさしくタイトル通り(原題は「The We and The I」)高校生たちの”We”と”I”について考えさせてくれる映画だったのですが、高校生たちの日常や学校内での”We”と”I”なんて内容から、昨年の「桐島、部活やめるってよ」と共通する部分があったりして、日本とアメリカと舞台は違うけども奇妙な関係性を感じたりしました。
 ただ、もちろん私はアメリカの高校に通ったこともない(というか海外に行ったことすらない)し、高校時代なんてホント十数年も前になる訳ですが、それでもこの映画で描かれてる”We”と”I”についての事は結構いい年したおっさんになった今でも、というか色々経験を重ねた今だからこそかもしれないな、何度も何度も自分の中で反芻したくなるテーマでした。



・WeとI
 さて、仮に今私が宝くじにでも当って、もう死ぬまで働かなくても済むような大金が転がり込んだら、家に引きこもって好きな映画とか漫画とか見ながら、なるべく人に関わらず過ごすかもしれません。もしそうなったら”We”と”I”なんて事を考える事もないでしょうが、現実には朝起きて会社に行って仕事して家に帰って寝る。そんな生活の中で誰かと関わりあいながら生きてる訳で、いい年した大人になった今でもそれなりに”Weの中のI”と”I”との差を感じたりする時があるんですよな。
 我々一人一人は”I”な訳だけども、その”I”が集まった集団”We”での”I”っていうのは人によっては自分が考えてる”I”とちょっと違った行動を取ったりする(または無意識のうちにしてる)と思うし、それ以上に”Weの中でのI”って言う存在で居るような空気が生まれていると思う。もちろん多くの人は”Weの中のI”として”I”を認識してるので、そこに明確な悪意は無いかもしれない(と少なくとも本人はそう思ってる)。でも、やっぱり”Weの中のI”と”I”とのズレが大きくなってくれば、色々しんどいと思うんですよな。だから、時折全てを投げ出して自分の世界に引きこもりたいなと、私みたいな人間は考えちゃうんですよね。
 そして、学校という集団に強制的に属すことになっちゃう学生時代なんて尚更、この”Weの中のI”と”I”とのズレについて大なり小なり思い悩んだりするんだと思う。



・I
 このズレをどうすれば解決出来るのだろうか。もちろん、必ずしも解決する必要はない訳で、”Weの中のI”と”I”は違う人格だと割り切って生きていくなんて事も手段の一つとしてあると思う。もしかしたら、この割きりが「大人」になる事かもしれない…。
 ”I”が一人一人違うように、解決方法も一人一人が違ってて当然であり、ある人は”Weの中のI”に”I”を近づけようと努力(あるいは演技)してるし、また別の人は”We”であることよりも”I”である事を選び、自分のあり方みたいなのを高校生にして選んでるような気がする。また、当然ながら”Weの中のI”と”I”が同じ(であるように感じる。もしかしたら彼の中では違うのかもしれないが…)人物も居たりする訳だ!!多分これらの人達は、少なくともこういう風な道を自分で選ぶ事が出来た”強い人”だと思うんだよな。ただ、もちろんそんな選択が出来ない人間も居るわけで、そんな人たちにはどうすればいいのだろう…。
 そこに、この映画の最も素晴しいと思った部分(この部分が見終わった直後よりも、今の方がより心に響いてきてる部分でもある)があると思ったんですな。”Weの中のI”じゃなくて”I”として自分を見てくれる誰か。そんな誰かの存在が、この世界を生きていく上での一つの支えになったりするんじゃないかな。そんな事を思う映画でしたよ。