俺と「死霊のはらわた」

 「死霊のはらわた」のリメイク版を見てきました。オリジナルシリーズは私がホラーにはまるきっかけになった作品の一つでもあるし、当然ながらホラー映画の金字塔だとも思ってるので、そのリメイクと言うことで期待半分、不安半分で見に行ってきました。
 結論から言っちゃうと、「死霊のはらわたの」リメイクだと言われるとうーんって言う出来だったですね。もちろん、オリジナルに対する敬意みたいなのはあったと思うし、エンドロール後にオリジナルファンなら「こいつはイカスぜ!」とニヤリとしちゃうおまけもあるんですが、なんかこう”コレだ!”って言うモノが無かったんですよね。


 ホラー映画っていわゆる非日常の映画じゃないですか、もちろん、「けっ、俺の日常の方がよっぽどホラー映画だぜ…」なんて地獄の日々を過ごしてるような方も居るかもしれません。でも、現代日本でそんな日常を変えようとホラー映画の方々みたいにチェーンソーを持って大暴れなんてした日にゃ、物凄い勢いでパンダ色の車が赤いランプを鳴らして登場して、国家権力のお世話になること間違いナシです。そんな状況にある方は、法に触れない程度の方法でどうか穏便に解決していただいて、むしゃくしゃした感情はホラー映画で発散して欲しいと切に願う訳です。
 話が相当脱線しましたが、要はホラー映画って非日常だよね、でもイキナリ非日常に突入しても戸惑うよねって事が言いたいのですよ。ホラ、コース料理でイキナリメインの料理が出てきても困るよね、要はアレと一緒ですよ。どっかの大学生どもが田舎に来てイチャイチャしてたりしたら、見てはいけないものを見つけて…みたいなどっかで見たことあるような展開、コレが意外に大事。この日常パートを見ながらこっちは「大学生とかがバカやってるシーンはもういい、おれは殺人鬼が見たいんだよ!」って事になっちゃう訳ですが、非日常パートでそんなバカやってる大学生が気持ちよくぶっ殺された祭の爽快感といったら…。ホント○○もこんな感じでぶっ殺されれば良いのに!とか思っちゃわないですよ。ええ。
 ただ、そんな日常パートがダラダラしすぎるのも、それはそれでコチラの映画を見る気をそいでくれる曲者なのです。しかし、我らが百戦錬磨のホラー映画業界はこの問題を十二分に認識しており、それに対する対策もしっかりと考えてある訳です!それが「おっぱい見せてくれるお姉ちゃん」コレですよ。


 日常パートに突如現れる非日常の存在”おっぱい”。なんというロマンに溢れた存在なんだ…。この男子の憧れが醸し出す非日常感がホラー映画の本編である怖いシーンに繋がっていくんですよね。ほら、おっぱい見るとドキドキするし、怖いシーン見てもドキドキするじゃないですか。エログロなんて言葉でおっぱいとホラーはまとめられていたりするじゃないですか。ホラー映画とおっぱいこんな素晴しい組み合わせが他にあるであろうか!!!
 そんな気持ちを胸に秘めながら青少年たちはホラー映画を鑑賞してる訳ですよね。なのでおっぱいを見せてくれるであろうお姉ちゃんが出てきた瞬間に心の中で小さくガッツポーズ、お姉ちゃんがおっぱいを見せてくれた瞬間に心の中で大きくガッツポーズ、そんなおねえちゃんが殺されてしまったら深々と頭を下げて感謝の気持ちと別れを告げるのです。
 じゃあ、本作「死霊のはらわた」はどうなのかと言えば、もしかしておっぱい見せてくれるかものおねえちゃんが出てくる→小さくガッツポーズの流れまでは良かったのですが、その先の大きくガッツポーズしたいシーンが無い。これはね、もうね絶望以外の何者でもないですよ。振り上げたコブシの行き場の無いままお姉ちゃんが退場してしまったあの空気…。俺、こんな気持ちは死霊のはらわたでは味わいたくなかったな…。そんな事を感じた映画でしたよ。



モチロンおっぱいが出てこなくても面白いホラー映画もいっぱいあるし、おっぱい出てきても面白くないホラー映画はもっと一杯あるけどな!!