俺と「アリスのままで」

 ジュリアン・ムーア主演の「アリスのままで」を見てきました。今年のアカデミー主演女優賞を獲ることになったこの作品。もちろんそのことがよく分かる彼女の熱演がも素晴しいのですが、それと同じぐらいこの作品が扱っている内容が印象的だったので、ちょっと記しておこうと思います。

<あらすじ>
 アリスの生活は順風満帆そのものだった。理解のある夫、立派な大人に育った息子と娘たち、そしてコロンビア大学で輝かしい業績を築き上げてきた彼女のキャリア。
 しかし、ある日彼女は自分に突然訪れる違和感に気づいていく…。

 この映画の主題は「忘却」だと感じました。主人公のアリスは若年性のアルツハイマーを患い、彼女の意思の如何に関わらず様々なことを忘れてしまいます。初めは私たちにもある単純に日常生活の中で言葉が抜け落ちるような、「あれ、あの言葉なんだっけ?」「あの人の名前なんだっけ?」と言ったレベル、ほんとに取るに足らないそんな出来事です。
 余談ですが、このあいだある映画を見に行ったときに、別の映画のしかも見たことある映画の予告編が流れました。しかし、残念なことに、私がその映画を見たことがその予告編を見るまですっかりと抜け落ちていて、断片的にしかその映画の事をも出だせなかったことがあります。自分としてはこういうことがないように、出来るだけ撮った映画の事を記録したり、それこそブログとかに書いて何かを残そうとするのですが、それでも人間の記憶は有限であり、好きな事でも忘れてしまうんですな。そんな時になんとも言えない気持ちになったりするんですな。
 この映画の主人公で合えるサラは言語学の大学教授であり、彼女は正に転職ともいえるその職で自身の持つ知性と知識を存分に生かしています。そんな彼女にとって、それまで得た知識が人生において最も充実しているその時に、突然、それも病によって失われていくと言うことは、私が一度見た映画のことを思い出せないこととは比べものにならないほどにショックで、人生で気づいてきたかけがえの無い財産が、ある日突然奪われるような感覚だと思うんですな。
 ただ、私が感じたのは、そんな難病としてのアルツハイマーに彼女や周りの人が立ち向かう様子よりも、「忘却」とは何なのかをふと考えてしまう作品だったように思ったのです。


 何かを失うことは哀しいし、さびしい、つらいし、苦しいし、恐ろしい。
 例えば、それまで築いてきた人間関係が失われるのもそうだし、親子や夫婦の絆が失われることもそうだ。もちろん、前述の知識を失うことだってそうだし、それまで出来ていたことが意図も容易くできなくなっていく様子を見るのはたまらなくつらい。
 でも、この映画を見ていると、実はそのことをつらいと思っているのは本人であるアリスよりも、周りの人間なんじゃないかと思うようになる。もちろん、当の本人もその失うことに恐怖し、必死で自分が自分であるように抗うおうとする。しかし、やがてに彼女は何を恐れていたかも忘れていく。彼女が恐れていたような状態、愛する人たちのことも、自分自身のことも良く分からないような状態になっているのに、それ自体にすら気づいていないのだ。それを見る私たちや周りの人はそのことを悲劇的に感じているのだが、当の本人はそれを「哀しい」と思ってすらいない。むしろ、「哀しい」と思うことすら忘れているんじゃないだろうか。


 そう思うと、彼女がラストで見せるあの表情を見た時に私の心に去来した思い、それは「全て忘れる」と言うことはそういう人間的な感情の問題ではなく、本人にとっては単純に『無』なんじゃないだろうかと。そんな風に感じた映画でした。