俺と「2016年の映画をふりかえる」

2016年は途中からすっかり映画感想を書くことをサボってしまい、いつの間にか年も明けてしまいましたが、ぼちぼち昨年の映画を振り返ってみようと思います。
ということで、例年通り鑑賞本数とかベスト10的なものを発表しても良いのですが、数年前まで空中キャンプさんのサイトで毎年やってた「○○年の映画をふりかえる」に乗っかって、2016年の映画を振り返ってみたいと思います。

ルールは次の三つ

1. 2016年に劇場公開された映画でよかったものを3つ選ぶ(1つor2つでも可)
2. 選んだ映画のなかで、印象に残っている場面をひとつ挙げる
3. 今年いちばんよかったなと思う役者さんを挙げる

ということで私の2016年を振り返ると

  1. 海よりもまだ深く」「ヤング・アダルト・ニューヨーク」
  2. 海よりもまだ深く」で主人公である阿部寛池松壮亮演じる会社の後輩にギャンブルの金を無心し、なおかつその金を貸してもらえるという、ああ、この人心底ダメ人間だなということが凝縮されてた場面
  3. 池松壮亮

と言った感じになりました。
選んだ2作品のことについてはちょっと置いといて、役者としては池松壮亮がとても良かったなと思います。これ以外にも菅田将輝とのダラダラした空気感が素晴らしかった「セトウツミ」や、「海よりもまだ深く」と似たような立ち位置だけどナイスタックルが印象的な「永い言い訳」など、それぞれ作品の中でいろんな表情を見せてくれた役者さんでした。
特に「海よりもまだ深く」では、ダメすぎる阿部寛を支える彼。包容力があって、物わかりの良い彼が、どう考えても作品のヒロインでしょう!とか訳分からないこと力説したくなるくらいの、今までこういう作品だと女性が担うことが多かった部分を、男性ながらにさらりと演じてしまう凄さがとても印象的だったので、彼に敬意を表する意味でもこのシーンを選んでみました。

以下はふりかえる企画にあったコメントの代わりに、選んだ2作品をネタにしたとりとめのない話です。


いきなり映画の話とは全く関係ないのだが、先日出張したついでに大学時代の友人と会う機会があり、飲み屋で2時間ほどアレコレ話したりした。彼と会うのは大学を卒業して、都合3度目、1度目は卒業しての翌年で、前回は昨年(2015年)、そして3度目がこないだという流れになるのだが、前回は本当にお互い予期しない場所でばったり会った(そして挨拶程度の立ち話で終わった)ので、近況報告をするのは数年ぶりという感じになる。
まあ、仕事の話とかをダラダラしたりしてたのだが、彼から「前回会った時に言いそびれてたんだけど、2年前に結婚して今子供も居るんだよね…」という話題をされた。別にその事自体はおめでたいことなので「おめでとう!」ということを彼に伝えて終わりなのだが、その話を聞いた後、居酒屋を出て彼と別れた後に心の片隅に浮かんでは消える、不安とも焦燥とも似てるようで違う感情(もしかしたら私がそう認めたくないだけかもしれないが)、この感情を取り扱ってるなと思った作品がこの2作品だと思ったので、実はこの2作品以上に好きな作品はあるのだけれども、2016年を振り返るとこの作品のことがまず頭に浮かんだ。

話を映画に戻そう、「海よりもまだ深く」で阿部寛演じる主人公は処女作で文学賞を受賞するも、以降は鳴かず飛ばず。取材と称して興信所勤めで生計を立てる男。「ヤング・アダルト・ニューヨーク」でベン・スティラー演じる主人公として取り上げられる男も、処女作で注目を浴びるも8年間も新作が完成していないドキュメンタリー映画監督。どちらも1度は誰もが夢見る成功という果実を手にしたものの、どちらも思い描いた人生とは程遠い人生を歩んでいるという感じの男といった感じだ。こう書くと、私自身が“なりたいもの”とほど遠い人生を歩んでいる男…なんて思われるかもしれないが、少なくとも私にはこの二人のような“人生の中でのあるべき姿・なりたい自分の姿”みたいなモノがある訳でもないし、人生の転機みたいな部分―例えば進学だったり、就職だったり―で転機に決断した、思い描いていた内容とは違う方向に進んだりする人間だったなと。別に、これは私だけの話じゃなくて、多くの人はそれこそなりたい自分を目指して進む道を選んでないなとは思うが、少なくともこの二つの作品の主人公は二人ともその部分である程度、明確にその部分とのかい離が提示されているのだな。

ただ、一方で多くの人にある“人生のあるべき姿”のようなものは、別に仕事に限ったわけじゃなくて、それこそ結婚であり、家庭や子を持つことであり、そういう部分での何とも言えない重圧みたいな部分にも隠れてるんじゃないかなと思ったりもした。とはいえ、今の私の生き方を改めて振り返ってみて、ほどほどの給料をもらえて、年間200本近く好きな映画を見られて、たまに美味いモノを食べに行ける今の生活に満足してるのも事実な訳でだな、結婚や子育てというモノを“今すぐに手に入れるべきあるべき姿”かと言われると、それこそ何度も親や親戚に言われたことに対する発言と同じ回答になってしまう訳だ。(まあ、そもそもそうなるべき相手がいないじゃんという根本的問題はちょっと置いといてだな…)そう考えると、あるべき姿からの乖離にもがき悩む彼らの姿と友人からの一言(正確には彼の現状)がもたらす感情は、もっと深いところで繋がってるんじゃないかと感じた。この記事を書くにあたって、改めて(映画と自分を)ふりかえってみると、彼らの葛藤と私の感情はともにある種の“停滞”に繋がってるのかなと思う。“停滞”なんて書くからネガティブに聞こえるかもしれないが、この2作品は少なくとも見ている時にそんなネガティブさを感じさせるような作品ではない。ただ、主人公二人の見せる感情の引っ掛かりのような部分を私なりに読み解いていくと、“停滞”という言葉が 浮かび上がってくる。

改めて考えると「海よりもまだ深く」の主人公はそれこそより“停滞”を強く感じる男だ。この映画の中で彼の別れた妻は変化の象徴であり、一向に変化しなかった夫に愛想を尽かして彼と別れたのは想像に難くない。ただ、彼の中でも“停滞”があり、例えば一向に進まない原稿がそれに当っていたのかもしれないし、彼自身の中で“停滞”の象徴であった父に近づいてしまっていることに戸惑っていたのかもしれない。その一方で彼の停滞を受容する人もいて、それが母であり池松壮亮演じる後輩であり彼の息子なのだ。劇中での彼の“停滞”がネガティブに感じないのは、彼自身の憎めなさもそうだが、それ以上にそれを受容する人の暖かさによるものが、そう時間させてくれているのだと思う。
「ヤング・アダルト・ニューヨーク」の主人公は“停滞”を打破しようとしもがく男という印象が浮かび上がってくる。同世代の友人と同じような生活、世界を過ごしてきたはずなのに、少しずつ生じてしまったズレ(このズレはナオミ・ワッツ演じるパートナーの方に如実に描写されてたりもする)。彼は講師として映画を教えているのに、自分が作りたかったアメリカをテーマにした壮大なドキュメンタリーの完成も遅々として進まず、撮影のパートナーにも愛想を尽かされる始末。そんな彼が“停滞”を打破するために、アダム・ドライバーが持っている若さをある種嫌々ながらも受け入れて行く。ここでいう若さとは変化の象徴だ。自分とは違う感性、生き方、考え方、食べ物や生き方や音楽や趣味や…etcを変えてみれば、この“停滞”が打破されるのではないか。そんな希望にすがる男の物語のように思えてならない。

朝起きて会社に行って仕事して家に帰って飯食って休日は映画を見に行って、たまに美味いものでも食べる。そんな私の日常の繰り返しに満足しつつも、心のどこかにこれが“停滞”だと感じている部分があるのではないのか。友人の変化を告げる一言によって呼び起された感情それこそが、彼らと同じ“停滞”に対する思いなんじゃないだろうか。
どちらの映画でも主人公たちの“停滞”を打破するための、分かりやすくて気持ちのいい解答は提示されず、もしかしたら彼らのその後に大きな変化はないのかもしれない。少なくとも「海よりもまだ深く」の主人公はあのままの生き方に落ち着きそうな気がする。ただ、全ての人の人生が順風満帆に進まないように、普通の人の人生の中にある“停滞”と向き合う彼らの姿が、同じく心の片隅に“停滞”を感じている私の心のどこかに響く部分があったのだろうなと。そして、彼らが明確な結論を見出していない部分に、私も同じ匂いを感じていたんじゃないかと思う。


ということを2016年に考えたりしたので、ふりかえって選ぶ映画はこの2本になりました。ちなみに、矛盾してるようですがもっと好きな映画は別にあったりするので、それはまた次の機会に…。

俺と「ハイローの秘密」

これは秋の深まりを感じるある午後に起きた出来事です…。

「やあ、ピーター。どうしたんだい?そんな世界が終わりそうな表情をしてるけども」
「マイク…聴いてくれるかい?実は僕、大変なことに気付いてしまったようなんだ…」
「大変なこととか言いながら、本当に大変なことなのかねぇ」
「もちろんそうだよ。ところで、マイクはハイローは見たかい?」
「ハイローって”HiGH&LOW”のこと?ドラマは見てないけど映画は二本とも見たよ」
「なら大丈夫だよ。僕もドラマは見てないけど、あの世界に隠される秘密に気付いてしまったんだよ…」

「で、どんな秘密なのさ」
「マイクはハイロー界で最強の武器って何だと思う?」
「武器って言っても1作目は素手の殴り合いがメインだし、2作目も銃が最強っていうイメージが無いし…。となると龍也さんを倒した車かな?」
「確かに一部では車最強説が採られてるハイロー界だよね。ただ、僕が気付いてしまったのは、あの映画で恐れるべきなのもっと別のことだっていうことなんだ…」
「え?どういうこと?車よりも銃よりも強い武器があったっていうこと?」
「いや、本当に恐れるべきなのは個々の武器なんかじゃないんだよ!マイク、確かに車はあのMUGENのメンバーだった龍也さんをも倒した最強の武器だ。だけど、同じ事故に遭った九十九さんは助かってるよね」
「確かにそうだけど、あれは龍也さんのおかげなんじゃ…。ピーターは何が龍也さんと九十九さんの生死を分けたっていうんだ?」
「龍也さんと九十九さんの生死を分けたもの…。それは仕事だ!」
「えっ?」

「いやいや、全く意味が分からないんだけど!」
「フィル。よくよく思いしてみてくれ。ハイローの主要人物で死んでしまったのは仕事を持ってる九十九さんだけだってことを…」
「でも…」
「そして"THE RED RAIN"でヤクザモノを除いて死んでしまったのは、弁護士と工場経営者夫妻…」
「いやいや、ちょっとこじつけなんじゃ…」
「フィルは不思議に思わないかい?ハイローの世界の中で仕事や労働といった社会的な概念が薄すぎると言う点を!」
「だってヤンキーものだし…」
「ヤンキーだっていつかは社会に出て働くわけだろ。でも、ハイローの世界にはそういったことの描写って言うのは殆ど無いよね。むしろ、あえて出していない風にすら感じるわけだ!それは何故か、そういったことを選択したら、最終的に死んでしまうからなんだよ!」
「ちょっと勘ぐり過ぎじゃ…」
「例えば、鬼邪高校ではスカウトを待つために何年も留年するという荒唐無稽な設定があるけど、実はコレも彼らなりの死を回避するための術なんだよ!」
「なっ、なんだってー!?」
「更には、シャッター街になってる山王街や、現代日本とは思えないような無名街。普通に考えたらこれらの地区はむしろ再開発された方が、治安や雇用も安定する普通に考えたらそうでしょ!」
「でも、九龍のやつらの目論見もあるし…」
「いや、違うね。恐らく彼らが恐れているのは再開発され、安定した生活を送ってしまうことが死につながるって言うことを本能的に感じ取っているんだよ!!」
「じゃあ、いい大人として描写されてる人たちが大抵ろくでなしなのも…」
「それ以外の普通の人がハイローの表舞台に出てくると、死に繋がってしまうからなんだ…」
「なんてこった。ピーター、君はなんという秘密を知ってしまったんだよ!!」
「ここからは僕の推測なんだが、逆にSWORDの人たちの異様なまでの耐久力の高さ。拳で殴られても鉄パイプで殴打されても立ち上がってくるあの生命力の強さは…」
「働かないことに起因してるの可能性があるんだ」
「そ、そんな…」


「そういえばピーター深刻な表情をしてた理由を教えてくれないか?」
「マイク…残念なお知らせがあるんだ…。実は僕はこないだ就職が決まったんだ…。」
「えっ?で、でもあの映画はただ単に映画の世界の出来事だから現実には関係ないよね!!」
「もちろん、そうだと思うけど。ちょっと遠くに行くことになりそうなんで挨拶しておこうと思ってね。」
「そうなんだ。ハイローの話を聞いたからちょっと不安に思えるけど、おめでとう!これから頑張ってよ。」
「ありがとう。マイクも元気でね。」

そして、これがピーターを見た最後の時だったのです…。

俺と「映画館でのスマホ」

それでは、本日最初の相談は”映画館で起きた不快な出来事”尾崎タイヤ・シャンティのお二人です。

タイヤ(以下T)「今日の相談というのはですね、僕の知り合いのエイトのことなんですが」
シャンティ(以下S)「あのエイト君ね」
T「おう、君知ってるのかい!彼のこと」
S「いや、初耳ですわ」
T「何やそれ!まあ、話を進めるとですね。先日彼が映画館に映画を見に行ったんですよ。その時にあったトラブルについての相談なんですが」
S「いやいや、映画館でトラブルなんて起きないでしょ!みんな座って映画見てるだけやし」
T「それがやね、結構不快な体験をしたらしいんですよ。そのエイト君。4DXの上映を見に行ったんですよ。知ってます4DX?」
S「聞いたことがあるようでないかも知れんな。」
T「分かりやすく説明するとやな、普通の映画アレは2次元だから2Dで、最近流行りなのがメガネをかけると映像が飛び出す3D」
S「そりゃ、3Dって危なそうですやん。なんせ、映像飛び出して来るってことは、銃撃戦の弾とかコッチに当たるんでしょ。おちおち映画も見てられないですよ!」
T「何をアホなことを!3Dいうてもあくまで飛び出してる風に見えるだけ、実際にコッチには何も飛んできません!」
S「なんや!早く言うてよ。これで、やっと3D見に行けるわ…」
T「なんちゅうあほな勘違いを…。まあ話を4DXを戻すと、その3Dを超える体験ができるの4DXなんよ」
S「ほう、でどんな体験ができるん?」
T「例えば、実際の映画の映像に合わせて席が揺れたり、シーンにあわせて水がかかったり、匂いが出る演出もあったりするという!」
S「なんや、それだけかい。そんな体験なんか普通の映画でもできるやろ」
T「いや、普通の映画じゃそんなことないでしょ!」
S「あるよー。例えばな、君が今僕の隣の席に座って映画見てるとするやん」
T「ほうほう」
S「その時にショッキングなシーンを見た僕が、とても驚いたりアクションで君の座席が揺れ!」
T「うっとうしいな」
S「心を落ち着かせようとして、飲もうとしたドリンクが手が震えて間違って君にかかり!」
T「単純に迷惑な客や!」
S「クライマックスシーンで思わず力が入った僕からかぐわしい匂いがもれる!」
T「それ、ただのオナラやろ!君とは絶対映画一緒に見に行きたくないわ。で、話を戻してそのエイト君、その4DXを見に行ったわけなんですよ。」
S「そうやったそやった、そのエイト君、不快な出来事ってどんな目に会うたん?」
T「君は映画あんまり見ないから分からんと思うけど、4DXな、コレ追加料金がかかるわけですよ。」
S「えっ、そうなん!いくら位すんの?」
T「仮に普通の鑑賞料金が1800円とすると2800円もかかるんよ。」
S「そんなにするん!僕んちの一日分の食費やん!」
T「君はいい大人なんだから、もっと良いもの食べなさい!で、話を戻すと、追加料金払って彼は4DXを見に行ったんですよ。」
S「追加料金払うぐらいやから、さぞかしその映画楽しみにしてたんやろうな」
T「そう、もちろん周りの人もそんな人ばっかりだとエイト君は思ってたんよ。それが本編始まった瞬間に状況が一変するわけで、何と彼の前に座ってた人が本編始まってもたびたびスマホをいじりるんですよ!」
S「それはアカンね。」
T「そうやろ。スマホを操作する光がチラチラ視界に入ってきて、非常に鑑賞の妨げになるんよね。だから劇場でも上映中は携帯NGのマナー啓発CMをやってるんよね」
S「ただ、君も映画館は気いつけた方が良いかもな。」
T「なんでや!」
S「いや、君の頭に反射する光がチラチラ視界に入ってくると、後ろの人辛いと思うよ!」
T「うるさいわ!で、しかもソイツは途中で電話するために劇場出てったりして、もう何がなんだか…」
S「その間、劇場の人は何してたん?」
T「劇場の人は映写状況はチェックしても客席の状況とかはチェックしないことが殆どだし、そもそもそんな人出もないんよ」
S「そうなんや。ってことは、映画を楽しみに来てたエイト君は追加料金払ったのに不快な思いして帰ったってこと?」
T「まあ、そうなるね」
S「やっぱり、上映方式の選択が間違ってたね。僕やったら絶対3D方式を選択してたわ」
T「それは何ゆえ?」
S「そりゃ、そういう上映中にスマホいじる輩を狙撃しても、3Dだったら画面が飛び出た弾と見分けつかないでしょ!」
T「だから、3Dで映画見ても画面からは何も飛び出してこねーよ!!!」
T「という訳で、今回みたいな場合、エイト君はその人に損害賠償できるかどうかを相談させてもらいにきました。」

はい、それでは今回の相談をまとめさせていただくと、
”タイヤさんの知り合いのエイト君が4DXの映画を見に行った際に、劇場側から「携帯・スマホ”は使用しないで!」と呼びかけられてるのにも関わらず、近くに居た人が何度も操作して鑑賞の妨げになっており、その人にきちんと映画を見れなかった分の損害を請求できるかどうか”
ということですね。大変よく分かりました。それでは相談員の…

俺と「2016年2月の映画」

やばい、もう上半期が終わってしまう。上半期にしたかったことのうち半分もできたないのですが、とりあえず2月分の良かった映画についてはなんとかざっくりした感想を仕上げておきましょう。

ザ・ウォーク

昨年の試写会でレーザーIMAXで一足先にこの作品を鑑賞をした人から「レーザーIMAXでの鑑賞マジおすすめ!」とおすすめされたので、会社有休とって109シネマズエキスポシティに初めて行ってきて見てきました。その映像については、映画の前半でJGLが師匠に綱渡りを教えてもらうシーンがあるんですが、そこで彼がバランス取るようの棒を落としたシーンで、落ちてくる棒を「うわっ、当たる!」と思って思わずのけ反ってしまったほどにしまった位に最高の臨場感ある映像でとてもよかったです。
あとは、今までのJGLのイメージとは結構違う「傲岸不遜」という言葉がぴったりな彼のキャラクターがインパクトありましたね。映画冒頭のジャグリングのシーンでも、クライマックスのWTCのシーンでも、自分の領域は誰にも侵させない彼の姿がとても印象的でした。



ディーパンの闘い

予告編も一切見ず、監督がジャック・オディアールだと言うことと、カンヌ映画祭で審査員の満場一致でパルムドールを獲得したということぐらいの前情報で見に行ったわけですが、これが同じ日に見た「サウルの息子」と同じぐらいの衝撃的な作品で、こんなすごい映画を1日に2本も見るなんて、俺明日死ぬんじゃないかと心配になったほどの作品でした。
映画の内容に触れるとその時の感触が消える気がするので、あえて本編の内容とは関係ない話を一つだけ書くと、これまで「預言者」、「きみと歩く世界」でカンヌ映画祭コンペティション部門にノミネートされながらも、惜しくも受賞することができなかった彼は、今回の受賞の時にかつてどちらの作品を出品した時にもパルムドールを獲得したミヒャエル・ハネケに対して、「ミヒャエル、今回は映画を作らないでいてくれて本当にありがとう!」とウィットにとんだ祝辞を送った話も映画と同じくらい最高に好きです。



「オデッセイ」

何はともあれポジティブすぎるマット・デイモンのキャラクターが最高である。「火星に一人ぼっち」という最もやるせない状況の中でも、忍耐強くやれることをやる姿勢、極限の状態の中でも、サバイバルのための手段を次々と考えていく賢さ、そして何より、辛い状況に置かれても後ろ向きにならず、常にユーモアを交える性格、困難な状況を乗り越える彼の全てが、見ているこちらに勇気を与えてくれるようなキャラクターで素晴らしい。
そして、彼を必死で救出しようとするNASAの面々やアレス計画のメンバーも同じくらい素晴らしくて、聡明で決断力のある女性艦長のジェシカ・チャスティンやクルーの中でもマット・デイモンと並ぶユーモラスなキャラクターのマイケル・ペーニャ、また、NASAの専門家チームもこれぞ専門家!って感じで最高。うちの会社もこんな感じだったら良いのに!
あと、「映画も良いけど小説のほうも良いぞ!」と勧められたので原作小説を読んでるのですが、こちらも最高。人類はもっとダクトテープを讃えるべき。



スティーブ・ジョブズ

こちらはオデッセイとはうってかわって、こんな人とは一緒に仕事したくないなと思わせる人の映画でした。
スティーブ・ジョブスと言えばアップルのカリスマ的な経営者で、この人にあこがれる人も数多くいると思うんですが、この映画の中での彼はカリスマというよりも、とってもメンドクセー奴−無茶な納期を押し付けてくるといったパワハラ野郎、間違いを指摘されても絶対曲げない頑固者、私生活もズタボロ…−と三拍子そろった男で、こんな奴と一緒に仕事したらすぐに胃に穴が開くと思いますね。
とは言え、映画としてはそのメンドクセー奴が他のメンドクセー人と会話、もう口げんかに近いレベルの会話をしてる様子が何より面白くて、「おとなのけんか」のような、完成された舞台劇を見てるような気持にさせてくれる作品でした。


俺と「リップヴァンウィンクルの花嫁」

 岩井俊二監督の「リップヴァンウィンクルの花嫁」をちょっと前に見ました。
初めて岩井俊二監督作品を見たのですが、とにかくその寓話のような世界観とそれにマッチした役者陣に魅了されて、コレはなんか感想書かないとな…と思うような作品だったのでした。
 特に主演のふたり、黒木華(最近きちんと読めるようになった)と綾野剛はどちらもとても魅力的なキャラクターで、綾野剛はそのトリックスター的な存在―ちなみに、私は今でもあの作品の中での彼は人間ではなくて、おとぎ話に出てくる人のふりをした悪魔のような人間以外の存在だと思ってます―が、まさに彼のために生まれてきたキャラクターだと思ったのですが、この感想では彼ではなく、黒木華が演じた皆川七海というキャラクターについて感じたことを記しておきます。


 「はたして彼女は何か変わったのか?」これはこの映画を見終わった直後から私の中に浮かび続けている疑問だ。多くの映画と同様に、七海は劇中で我々常人が3回生まれ変わっても体験しないような経験をする。普通の映画であれば“七海はこの経験で得た何かを糧に、彼女なりの人生を歩み続ける!”そんなことが見終わった後に思い浮かぶのだが、この映画の先にある彼女の人生を私なりに考えてみても、それが何なのか私にはよく分からない。いや、このことが悪いとかそういう訳では全く無くて、むしろここまで私の心に印象を残しているキャラクターであり、しかもあれだけの経験をしているはずの彼女なのにもかかわらず、「彼女は変化したのだろうか」ということがずっと引っかかり続けているのだ。
 皆川七海とはどういった人物なのだろうか。その事を考える上で私にとって最も印象的なのは、映画の前半で夫の不倫をバラされてしまった不倫相手の彼氏に向かって彼女が「アチャー」言い放つシーンである。普通…というか私なら愛する人の不貞行為に直面した時には、怒りや憤りなどの負の感情が噴出したり、あるいはそんなことはないと否定したりする行動をとるのだと思うが、彼女が放った一言は「アチャー」なのだ。
この発言、映画の中の人、事件の関係者が言い放った言葉というよりも、どちらかと言えば映画を見ている我々がするような、ある種の俯瞰的、自分を客観視しているような発言に感じたのだ。そんな彼女のどこかしら浮世離れした、地に足ついていないそんな様子に私自身は何とも言えない親しみを覚えるのである。
 「自分自身を強く持て」「自分なりの生き方」このような“良し”とされている生き方は、皆川七海の生き方とは全く対照的なように映る。ただ、一方で彼女自身の生き方はそんな“良し”とされる生き方に相通ずるような部分、多くの人にとって普通とされている生き方をなんとなしに選択しているような気がするのだ。例えば、夫となる男の出会いにしても「最近はみんなこういう感じだから」とSNSで出会って関係を持ち、彼女の結婚式にしても“いかにもありそう”な“心のこもった”演出(見てる側はそこに悪意を感じるのだが)がなされている。また、彼女の職業である派遣の教師にしても、恐らく私と同世代の彼女の選択として“いかにもありそう”なのだ。そんな“いかにもありそうなこと”を受容する彼女は、ある種私を含めた同時代の人間を象徴しているようにも感じて、そこに何とも言えない親しみを覚えたのだと思う。 しかし、そんな彼女のもつ性質、極端ともいえる他者を受容するその性質が、必ずしもこの映画で否定されているとは思わないのだ。
 七海の特性とでもいうべきその受容性は、確かに彼女に大きな変化―失業であり、結婚であり、離婚でもある―を与え、その多くは彼女にとってマイナスの影響を与えたものだと感じる。しかし、一方で彼女が持つその受容性を求めた人、それは真白であり、引きこもりの少女であるのだが、彼女受容性こそが救いであったように思う。だからこそ、私は彼女のこの特性が否定されているようには、むしろ素晴らしいものとして描かれているように思うのだな。


 初めの問いに戻ろう。「はたして彼女は何か変わったのか?」これに対する答えは「私は何も変わってないと思う」になるのだな。
 もし、映画の先の七海の人生があるとしても彼女は何かを受け入れ続けるんじゃないだろうかと、私は思う。多くの人が自分だけで選択できるような強い人間ではないように、何かを受け入れ続ける人生というのも我々が思ってる以上に価値のあるものなのかもしれない。そんなことをふと思ったりする映画でした。


俺と「X-ミッション」

〜ある雨の日の午後〜

「ヘイ、マイク!久しぶり。」
「どうしたんだいフィル?」
「いやー、久しぶりに映画でも見ようかと思ってるんだけど、最近見た映画でインパクトの強い作品ってある?」
「あるにはあるけど…な…」
「じゃあその作品教えてよ」
「…。よし分かった!まずは言っておきたいことがある。この作品、そんなに面白くないから!」
「いや、できれば面白い作品のほうが…」
「ちょっと待て!君が言ったのはインパクトの強い作品だろ。この作品、インパクトだけは最強だから!」
「とりあえず話を聞いてから考えて見よう。ところでそんなインパクトのある作品って何なんだい?」
「そりゃもちろん『X-ミッション』さ!!」
「あー、テレビとかで何回かCM見たなー。確かにインパクトのありそうなアクションシーンが流れてたなー」
「いや、この映画がインパクトあるのはそこじゃないから」
「えっ??」


「いやいや、どう考えてもアクションメインの作品でしょう。じゃあ何がインパクトあるっていうんだいマイク?」
「それがオザキ8さ!!」
「…そ、そのオザキ8と言うのは一体何なんだ?」
「一言で言うと概念かな…」
「いや、全く意味分からないよ。マイク…」
「具体的にいうと、自然への感謝を表してるんだよ」
「ああ、それならちょっと分かる気がするな」
「ちなみにこのオザキ8を信奉する敵役たちは山に登る途中でゴミを拾ったり」
「あー地球を大切にってことな」
「山の頂上から飛び降りたり」
「なるほ、…え?」
「でもって、鉱山を爆破したりするんだよ!」
「いや、それむしろ自然を破壊してないか?」
「あと、活動資金集めるために銀行強盗したり、パーティしたりもする」
「いや、自然への感謝どこ行ったよ!!!」

「まあ、そこら辺の細かいことは置いといて、ようは『自然への感謝を表すために困難なことに挑む』これがオザキ8ってことだよ」
「まあ、そういうことにしておこう。しかし、コレが何でインパクトあるのか良く分からないんだが…」
「考えて見ろよフィル。この概念を遣えば多くの映画の出来事が説明できるんだよ!」
「全く理解できないんだが」
「例えば、『オデッセイ』な」
「あー、あの映画のマット・デイモン凄かったよな。あんな状況になったら俺はすぐ死んでると思うよ」
「何故、あの映画で彼があんな過酷な状況に耐えれたのか分かるか?」
「そりゃ、何としても地球に帰りたかったからじゃ…。まさか…」
「そう、彼は火星の過酷な状況に挑むことで火星への感謝を表してたんだよ!あれこそオザキ8の体現だ!!」
「…(絶対無い)」
「つまり、オザキ8と言う概念を使えば『オデッセイ』も『マット・デイモンが火星でオザキ8に挑戦する映画』になる訳だよ!」
「…(これはヤバイな、完全にイッちゃってる)」
「他にもサンドラ・ブロックが宇宙でオザキ8に挑んだりしてるし、様々な映画でオザキ8の影響を垣間見ることはできるんだよ」
「…(こっ、こじつけなんじゃ)」
「他の映画にも影響を与えるオザキ8という概念。こんなインパクトのあるモノは滅多にお目にかかれないよ思うよ!」
「…もう、分かったよ。とりあえずオザキ…じゃなかった『X-ミッション』借りてみるよ」
「念を押しておくけど、映画としてはそこまで面白くないからね。」


〜時は流れて〜

「フィル、久しぶりだね」
「やあ、マイク。こないだ言われた『X-ミッション』見たよ!確かにマイクの言うとおりだったよ!」
「良かった。オザキ8の凄さを君も理解してくれてうれしいよ!」
「そうなんだ。その後『さざなみ』っていう映画を見たんだけど、確かにこの映画にもオザキ8が感じられたよ!」
「へー、ちょっと知らないけどどんな映画なんだい?アクション映画?」
「いや、結婚45周年のパーティを目前に控えたある老夫婦のもとに一通の手紙が届いて、夫婦関係が徐々にギクシャクしていく物語なんだけどね」
「へー、なんか静かな物語っぽいね」
「そうなんだよ。ただ、その一通の手紙って言うのが、氷山が溶けて旦那の元彼女の死体が見つかったていう内容なんだよ」
「…(おかしい、オザキ8を感じそうな要素が全然無いぞ!)」
「つまり夫婦関係がギクシャクし始めたのは手紙のせい→死体が見つかったのは温暖化のせい→温暖化しなければこんなことにはならなかった→地球への感謝が足りない→オザキ8をすべきだった!、こういう論法が成り立つわけだよ!」
「…(こいつは俺よりも数段危険な、まさにオザキ8原理主義者じゃないか!)」
「いやー、確かにどんな映画にもオザキ8は存在するねー。ホント凄い映画だよ!」
「そ、そうだね…」
「いや、むしろオザキ8が存在するのは映画だけじゃなくて、我々の人生にも一人一人のオザキ8が存在するかもしれない…。よし、マイクこれからは僕たちのオザキ8を探して行こうじゃないか!」
「なんか色々スマンカッタ…」

俺と「2016年1月の映画 その2」

 やー、年度末になると色々仕事だったり仕事以外のことだったりでどたばたして、書きかけの1月に見た映画のことをまとめるのもままならない始末。ともあれ、年度が替わるまでにはなんとか無かったことにならないよう、1月に見た面白い映画のことをさっくり書きましょう。


「Comet-コメット-」

 まず、皆さんに知ってほしいということは、この映画のヒロインであるエミー・ロッサムが可愛いどころではない騒ぎの超可愛さだということである。そりゃ、主役のジャスティン・ロングも(もちろん俺も)一目ぼれするわけだよ! というわけで、超可愛い女の子に一目ぼれしてなんとかして付き合って…と、ざっくり言うと「(500)日のサマー」みたいな作品です。ただ、ジャスティン・ロングはJGLよりもちょっとイヤなヤツです。そんなちょっとイヤなヤツが、大好きでたまらない女性のこと大事に思いつつも、色々めんどくさいことを言ったり、プライドが邪魔したり、その結果ケンカしたりする映画です。もうね、お前は俺か!!
 そんな自分の恋愛観をビシビシ抉ってくる映画でしたが、「(500)日のサマー」が大好きな私は当然この映画も大好きな訳で、早くソフト出てくんねーかなー、と思いながら日々すごしてます。


「あの頃エッフェル塔の下で」

 さて、私が勝手におフランス映画がらしいと感じるポイントが3つあります。まず、登場人物が美男美女、次にそんな二人が意外とスパッと脱ぐ、そして、登場人物たちはところ構わずタバコスパスパ吸うこと。もちろん、この映画もそんな三つのポイントを抑えたおフランス映画でした。
 十代後半から20代前半に欠けての主人公とヒロインの遠距離恋愛が主な映画のテーマなんですが、この映画もヒロインのルー・ロワ=ルコリネちゃん演じるエステルが可愛いです。こっちは、ちょっとツンとした感じとかが、高嶺の花って感じで良いのです。ただ、こちらの共感というか痛いところをグサグサえぐってきた「コメット」と違って、自分勝手な主人公と高飛車なヒロインという全然共感できないカップルなのに、何故か彼らの関係の行く末、関係の変化が気になってしまうのも、なんというかおフランス映画らしいなと思ったのでした。
 あと、この作品も性を媒介にした関係性が非常にオープンというか、いかにもという感じで印象的ですが、昨今の芸能ゴシップの例にも漏れず、日本人がやっちゃうと倫理的にアウトだと糾弾されると思いますね!


「メニルモンタン 2つの秋と3つの冬」

 この映画も相変わらず、あの外見なのになぜかキャラを演じることが多いモテるヴァンサン・マケーニュが、ご多分に漏れず今回もモテるキャラを演じていて、その彼女とイチャイチャしたり、喧嘩したりする映画です。もちろん、ヴァンサン・マケーニュ大好き人間の私にとってはそれだけで100点以上は固い作品でした。 というか、ヴァンサン・マケーニュでてるんだから、それだけで特に解説しなくても良いんじゃないかと思います!
 そんなヴァンサン・マケーニュ演じる主人公が、33歳になったときにランニングを始めることから映画は始まるのですが、 ちょっと前に俺も33歳になったばっかりだし、早く週に二回近くの公園をランニングしないと!



ヘリオス 赤い諜報戦」

 犯罪集団ヘリオスに韓国政府が極秘開発してた小型の核兵器DC-8が盗まれてしまい、ヘリオスが香港でDC-8の取引をするという情報を入手した、香港警察、中国公安、韓国政府が入り乱れて…というお話ですが、とにかく細かいことには突っ込んじゃダメ。とにかくこの映画の世界観に身を任すのです。
 私は映画を見るときは先の展開を予想しながら見ちゃうときが多いのですが、この映画はこっちの「多分こう来るな…」っていう展開になったり、ならなかったりしますが、そんな私が「もう予想するのに疲れた…」と言いたくなるほどの矢継早すぎる展開。徐々に頭の中に浮かんでくる「どうやって風呂敷を畳むんだろうと…」という疑問。そして、上映が終わった瞬間に「えっ?えっ?」と周りの人の様子を伺いたくなるようなラストのオチ。そういう部分も含めてとても香港映画らしくて印象的な作品でした。
 


「最愛の子」

ある日、突然わが子を失うことになった親子のわが子を探し求める困難な様子を描く作品ですが、それ以上に今の中国が抱える様々な問題が浮かび上がってくる作品でもありました。
例えば、主人公である母親のジュアンは大都会深センに住み、アウディに乗るキャリアウーマンで、日本人から見てもかなりの裕福な様子がうかがえる一方で、同じ大都市にありながらも日銭を稼ぐために日夜働く出稼ぎの労働者などの、中国が抱えている圧倒的な格差の対比。また、驚くべきは主人公たちと同じような悲劇が数多く存在しており、劇中では主人公の家族以外にも様々なわが子を失った家族がお互いを慰めながらも、小さな希望にすがりつくように生きている様子胸が痛くなるやるせなさでした。
ただ、この映画そういう悲劇性、社会描写以上に心に残ったのは、ラストシーンに監督から投げかけられているある問いかけでした。普通の映画は幕が下りるとおもにその作品の世界は閉じられるのですが、この作品については、幕が下りたその後を各々が考えるそんな作品でしたね。