俺と「パティンテロのQ&A」

大阪アジアン映画祭2017で見た「パティンテロ」。映画の方もなかなか面白かったですが、ミーク・ヴェルガラ監督のQ&Aが負けず劣らず非常に面白かったので、備忘録としてうろ覚えの範囲で書いときます…。(間違っててもご容赦を…)


・監督挨拶
「今日は私の映画を見に来てもらってホントにありがとうございます。私自身、日本の多くの日本の文化、アニメや漫画や映画に影響を受けており、そんな私の大好きな国日本でこの作品を上映できる機会を頂いてとても光栄に思っています。」


・なぜ”パティンテロ”(チーム&ターン制の鬼ごっこみたいなフィリピンの遊び)を題材にしようと思ったのですか?
「日本の映画やアニメでは普通のスポーツ・遊び、例えばゴルフや卓球などを題材にした素晴らしい作品が多くあります。それをフィリピンに当てはめたときに何になるか?と考えて当てはまったのが”パティンテロ”になりました。この遊びはフィリピンでは大人から子供まで誰でも知ってるとてもポピュラーな遊びです。」


・この映画は監督のデビュー作ですが、フィリピンの映画祭で多くの賞を受賞されています。特に、ジェンダー・センシティビティ賞という、ちょっと我々には馴染みのない賞を受賞されてますが、どういう賞なのでしょうか?
「この賞は男女の役割やLGBTの描写が非常に模範的(相互理解を深めるという意味で…ということだと思う)であるという賞に送られます。作品中の主人公のキャラクターやゲイのカップルが家庭の中に溶け込んでいる様子などが評価され、受賞することになりました。」


・監督は日本のアニメや映画などから影響を受けたとおっしゃっていたが、例えばキック・アスのようなアメコミヒーローからの影響は受けていますか?(「バーミー」田中監督からの質問)
「日本のアニメや映画と同じぐらいアメコミヒーローも私にとって非常に身近な存在でしたので、その影響も非常に大きく受けています。例えば劇中に出てくるZボーイのキャラクター造形はまさにソレですし、彼が突然消え去るシーンなんかはバットマンがパッと消える演出を非常に意識しています。」
(Q&Aでは触れられていなかったが、エンドロール後に出てくる文字なんかもそうだと思う。)


・主人公の家庭描写など、ちょっと理解しにくい面があったりしたので、その部分について補足説明をお願いします。
「主人公の母親は海外で働いており、彼らの面倒は祖母が見ています。これはフィリピン人にとっては非常によくある出来事で、OFW(Overseas Filipino Workers…フィリピン人海外労働者)と呼ばれており、医療やメイドなどの仕事を海外でしなが母国に住む家族に送金しています。劇中の最後で主人公たちを待ち受ける運命も実はフィリピン人にとっては非常にごくありふれたモノなのです。ただ、これはフィリピン人以外にはなかなか理解できないものなのかもしれません。この作品はそもそも海外で上映することを想定せずに作っており、その部分の補足説明が必要だという事は非常に参考になりました。」


・映画を見ているとちょっとノスタルジックに感じる部分があったのですが、どのような時代設定になっているのでしょうか?
「この時代という具体的な設定はしてませんが、おっしゃる通りちょっとノスタルジーを感じる一昔前の設定にしています。例えば”パティンテロ”の競技前にするコイントスで使われてるコインは、今は使われていないちょっと前のコインを使っています。また、今ではフィリピンで当たり前に使われている携帯電話も登場させていません。また、今のフィリピンの子供は映画のように”パティンテロ”に興じてるというのもあまりないです。」(画面もチョットセピア色がかった色調があったりしました。)


・劇中の音楽がとても印象的だったのですが、あれはオリジナル何でしょうか?
「劇中の音楽は私の友人のラッパーやロックバンドなどでマルチに活躍している、フィリピン人のミュージシャンにお願いして作曲してもらいました。すべて彼のオリジナル曲になります。」


といった感じのQ&Aでした。

あと、おまけ(サインしてもらったときに質問してみた)
・試合のシーンがアニメ的に演出されていて非常に印象的でしたが、何かモデルにしたアニメとかはあるんでしょうか?
「スポーツアニメ、例えばスラムダンクとか、ハイキュー、あとキャプテン翼なんかが大好きで、演出の元ネタになっています。」

俺と「たかが世界の終わり」

 公開を心待ちにしていたグザヴィエ・ドランの新作「たかが世界の終り」をちょっと前に見てきました。見終わった後の率直な感想は”ドランの作品の中では「トム・アット・ザ・ファーム」よりは好き”といった感じの作品でしたが、意外に結構後からじわじわくる感じな作品だと思ったので、大好きな監督の作品だし、見終わったしばらく経った今の思いをダラダラ書いておこうと思います。


 自身の死を実家の家族に告げるために12年ぶりに帰省したギャスパー・ウリエル演じる主人公ルイと、その家族の会話で構成されている会話劇に近い感じの本作(作品のベースになってるのが戯曲とのこと)、この会話がドランらしいカッチョイイセンスにあふれた映像で構成されてる!…という訳ではなく、全体的に登場人物たちの思いが非常につかみにくい、不定形という印象が非常に強い会話−「わたしはロランス」のXデー前(ロランスのカミングアウト前)の会話が非常に近いと感じた。余談だが劇中にロランスという名前が登場する―で構成されている。
 もちろん、回想をはじめとしたいくつかのシーンは私が求める、まさに”ドランらしい音楽と絵画的な画センスで作られた”シーン(個人的には冒頭の主人公が帰省するタクシーの後ろの窓に2つの赤い風船が上る部分がまさにソレ)があり、コチラの感情を刺激してくるのだが、多くの内容はちょっと睡魔に襲われそうな感じの内容になっており、後半、こちらが物語のテーマを掴みかけてきたなと感じたところで、物語に幕が下ろされる構成になっている。

 この映画の不安定さは、間違いなく主人公ルイの存在、彼が何を思い何を考えているかがよく分からない部分によるものだと思うのだが、一方で、彼の存在そのものが不明瞭だからこそ、各々の家族は自身の中にある彼の姿を投影し、彼に感情をぶつけているように感じるのだ。
 レア・セドゥ演じる彼の妹は、物心ついた時に既に兄は遠く離れた地で生きており、推理小説の探偵のように手紙や記事の情報を繋ぎ合わせて自身の中での兄の像を作り上げ、出会うことを待ち望んでいた彼が彼女の思い描いた彼との違いを確かめるかのように、矢継早に繰り返される会話の中で、彼女が思い描く彼の像を本人にぶつけているように思えた。しかし、彼からは明確な反応、それは肯定でも否定でもなく、単に彼がそこに居るだけのような反応しか得られない。
 ナタリー・バイ演じる母の反応も本質的には同じだ。もちろん彼女の場合はそれこそ彼が生まれた時、正しくはこの世に生れ落ちる前から、彼と関わっているハズなのだが、今の彼を見ているというよりも、彼女が持ってる正しい家族像を彼に押し付けているように感じた。ただ、ドランの過去作ならこの二人の関係、彼自身が何度も映画のテーマとして取り上げてきた母と息子という関係について、家族という今までよりも一回り大きな関係が描かれる本作では、相対的に今までよりも薄い関係として描かれていたように感じる。
 ただ、そんな中で非常に大きな感情の高ぶりを見せる人物がいる、それがヴァンサン・カッセル演じる彼の兄アントワーヌだ。
 本作の中では、常に不機嫌な感情としか言いようのない感情を見せるアントワーヌ。彼のその憤りの根源は何なのかという部分について、現在の私なりの解釈を書くのが実際のところこの記事の主たる目的である。


 この映画の中で各々のキャラクターに関する情報は驚くほど少ない。アントワーヌについて語られる情報は、

・主人公の兄であること
・妻カトリーヌと二人の子がいること
・地元の工場(?)で働いていること
・とにかく全編にわたって常に不機嫌

と言った感じだ。
 劇中での彼と妹との関係はすこぶる悪い。常に対立しているようにすら感じる。ただ、思うにこれは彼と彼女のルイに関する解釈の違いから来るものなのではないだろうか。
 常に何かに憤っているアントワーヌの様子の中でも、私の中で印象に残るシーンはルイがアントワーヌに”分かるよ”と言ったシーンだ。あの時のルイの言葉は、アントワーヌではない私自身もルイの本心だとは思えない(そもそもルイの本心というものが存在するのかどうかすら確信が持てない)そんな空虚な言葉だ。そんな空虚な言葉を吐くルイそのものにアントワーヌは憤っていたのだろうか。私にはそうは思えないのだ。
 アントワーヌが憤っていたもの、それはルイそのものというよりも、故郷を捨てたルイが戻ってきたことなんじゃないかと思う。おそらくルイのような存在には生きにくいであろうフランスの片田舎、アントワーヌはそのことを理解しているからこそ、彼を再び故郷に縛り付けることになりうる存在、母であり、妹が求める理想像のルイをルイが受け入れてしまうことを危惧し、憤っているのではないかと思う。
 私自身、十数年前に故郷を離れたが、年々その故郷に帰省すると、故郷にある家族というしがらみに時折息苦しさを感じてしまう。その息苦しさは、どこかアントワーヌの憤りと心の奥深くでつながっているように思えて仕方ない。アントワーヌ自身も彼自身が気付いていない心のどこかで、家族を捨て、故郷を離れ、自由を得た理想のルイというものを追い求めているのだ。(そして、それはアントワーヌ自身にとって得ることができないものであると彼自身が思っているモノだと思う。)
 アントワーヌはルイの死を悲しむだろうか。私は、この家族の中で誰よりもルイの死を悲しむのがアントワーヌじゃないかと思っている。彼の憤りがルイへの、そして彼自身への愛情から来ているのであれば、劇中で見せる彼の憤りの感情と同じぐらい、ルイの死に対する悲しみの感情が彼を満たす、そんな未来であってほしいと思っている自分がいるのだ。

 この映画の中で一人、ルイを中心とした家族から外れた人物がいる。それがマリオン・コティヤール演じるアントワーヌの妻カトリーヌだ。初めこそルイにひかれていた彼女が、映画の終盤ではルイにどちらかというと物悲しくて、冷ややかな視線を送る。彼女の視線こそが、外からは理解できない、そし中にいる人ですらコントロールできない家族というものの不思議さを表しているように思う。



「ロランス」や「Mommy」のような、分かり易くて派手な感情の揺さぶりではなく、静かで徐々にこちらを侵食してくるような感情の揺らぎで構成されているこの作品。彼の演出の静の部分は動や情の部分の激しさと比べて、ちょっと…いや一見するとかなり退屈だなと個人的には思いました。
ただ、ドランも2回に1回ぐらいこういう作品を撮らしてやることで、また別のこちらの感情を揺さぶってもらえるような傑作を作ってもらえると思えば、2千300円(パンフ代含む)というお布施は全然安いと思いました。(信者的感想)



(おまけ)
2017年2月現在、グザヴィエ・ドラン監督作ランキング

1.Mommy
2.わたしはロランス
=====最高という言葉も生ぬるい作品との壁=======
3.マイ・マザー
4.胸騒ぎの恋人
5.たかが世界の終り
=====好きと嫌いの間にある壁=======
6.トム・アット・ザ・ファーム

俺と「シネマート心斎橋でドラゴン×マッハ!を見る方法」

〜1月20日金曜日の昼下がり〜

「やあマイク、久しぶり!」
「フィル。今年もよろしく!」
「新年早々、どうやら凄いアクション映画が公開されてるらしいじゃないか。」
「もしかして、”ドラゴン×マッハ!”のことかい?いやー、ホント凄い映画だったよ。」
「そうそれそれ、それでどこに行けば見られるのか、映画に詳しい君にちょっと相談しようと思ってね。」
「なんだ、そんなことならお安い御用さ。シネマート心斎橋に行けば見ることができるよ!」
「ありがとうマイク。じゃあ、早速今週末にでも見に行ってみるよ!」
「…。フィル…、ちょっと待った!」
「マイクどうしたんだい?他に何か知っておくことがあるっていうのかい?」
「フィル…君はシネマート心斎橋に行ってどうするつもりだったんだ?」
「そりゃー、普通にチケットカウンターの人にドラゴン×マッハ!1枚ってお願いして…」
「フィル…すでにその選択が初心者にありがちな罠に陥ってるんだ!」
「マイク、言ってる意味が全く理解できないよ!」
「君がまず知っておくべきこと、それはこのドラゴン×マッハ!がとんでもない作品だということだ。」
「(そんなの分かってるよ、だから見に行くんじゃないか…)」
「そんな君が今週末シネマート心斎橋に行って言うことは、まず”TCGメンバーズカードに入会させてください!”だ!」
TCGメンバーズカード!?」
「そうするとチケットカウンターの優しい係員さんが君に1枚のカードを手渡してくれる。その裏にペンで署名して入会金1000円を払うんだ、そうすれば君もTCGメンバーズっていう寸法さ!」
「そのTCGメンバーズっていうのに入ると、どんなメリットがあるんだい?」
「まず、映画がいつでも1300円で見れる!」
「それは良いね。アレ?でも入会金と合わせると2300円支払うから500円のマイナスじゃないか!」
「結論を急ぎすぎだよフィル!急いては事を仕損じるだ。チケットカウンターのスタッフさんはメンバーズカードとともに2枚のチケットを渡してくれるんだ。」
「なんなのさ、そのチケットは。」
「一つは”1000円で映画が鑑賞できる”チケットさ。これを使って君には翌日の回を予約することをお勧めするね!」
「え、僕はその日ドラゴン×マッハを見るだけで十分なんだけど…」
「まあ、別に上映終了後に心変わりすると思うけどね。それほどまでにドラゴン×マッハ!が面白いからだ!」
「ハイハイ…(そんな訳ないでしょ)。ところで、もう一枚のチケットは何なんだい?」
「まあまあ、そのチケットの出番はもう少し後だから…。土曜日と日曜日に続けてドラゴン×マッハ!を見た君は、月曜にあることを思うはずだ。」
「(2日続けて見に行く前提なんだ…)」
「”今週の仕事を乗り切るためには今日もドラゴン×マッハ!を見に行って、トニー・ジャーの魅せるダブルニーに勇気づけられるしかない…”と。」
「絶対ないから!あー、そこでもう一枚のチケットの出番ってことか!」
「ノンノン。シネマート心斎橋は毎週月曜はメンズデー、男性の僕たちは1100円で映画が見られるのさ!」
「そりゃ凄い!(別に土曜じゃなくてもその日に見に行けば良いわけか)」
「しかも、今週の上映時間は18時台という会社帰りにピッタリな時間。今週の仕事も乗り切れるはずだ!」
「分かった。ありがとうマイク!」
「待ってフィル。話はまだ終わってないよ!」
「え?」
「月曜はドラゴン×マッハ!のおかげで乗り切れた君だが、仕事はそんなに甘くない!そんな君は徐々にマックス・チャンの華麗な二段蹴りのように、華麗に仕事をさばきたいと思い始めるはずだ!」
「アーハイハイ。やっとこさここでもう一枚のチケットの…」
「まだ早い!なんと毎週火曜日と金曜日はTCGメンバーズなら1000円で映画が鑑賞できるんだ!」
「え?何それ凄い。最近はほとんどの劇場でサービスデーでも1100円なのに1000円で見られるんだ。」
「そういうこと。ここでもTCGメンバーズカードが威力を発揮する訳だ!」
「で、次の水曜もどうせ僕は見に行くんでしょ。」
「察しがいいね。週の真ん中という一番疲労がたまる時期、そんな時に見たくなるのはウー・ジン疲労困憊の中でも刑務所をなんとか逃げ出そうとする大立ち回りだ!」
「で、ここでそのチケットを使う…わけないですね。」
「その通り!フィル、水曜日は何日だか分かるかい?」
「1月25日だけど…」
「毎月25日はシネマートデーといって、老若男女に関わらず誰でも1000円で映画が見れるんだよ!」
「ちょっとシネマート太っ腹すぎるんじゃないか!(よし、この日に見に行こう)」
「でも、フィル何か大切なことを忘れてないかい?」
「…チケットですね。」
「その通り!ここまで来たら普段とは全然違う見た目のルイス・クーにも馴染んでるはずだ!」
「(そもそもルイス・クーを知らないけど…)ということは…木曜も見に行くわけですね…。」
「そう。そして遂にTCGメンバーズに入会した時に渡されたもう一枚のチケットの出番さ。そのチケットは、なんと”無料鑑賞チケット”なのさ。」
「え?ていうことは入会金の1000円で映画1本見れるってことなのか!」
「そういうこと。ただ、この無料鑑賞チケットがついてくるのは2月末までだから注意しような!あと、上映初日から2日間は無料鑑賞チケット対象外だけど、もちろん”ドラゴン×マッハ!”はそんなことないぜ!」
「なるほど、そういうことならTCGメンバーズに入っておいてもいいかもね。」
「そして、1週間を締めくくる金曜日。この大阪、シネマート心斎橋の上映最終日なわけだ!」
「…」
「この一週間で君とシネマート心斎橋には”ドラゴン×マッハ!”を通じて奇妙な絆が生まれてるハズだ!そう、映画でのトニー・ジャーウー・ジンが娘のサーを通じて絆に気付いたように!」
「ていうことは、金曜はサービスデーで1000円で見て来いということですね!」
「流石じゃないか!これで君も”ドラゴン×マッハ!”漬けの充実した1週間が送れるはずだよ!」
「そうなるかどうかは置いといて、とりあえず土曜にシネマート心斎橋で映画見てくるよ!」
「感想楽しみにしてるから!」

〜時は流れて翌週の金曜日(1月27日)〜

「やあフィル」
「マイク!ドラゴン×マッハ!素晴らしいね!僕、あんなに凄いアクションを同じ人間がやってるなんて信じられないよ!今じゃ自然に”殺破狼〜”と口ずさんじゃってるよ!」
「ドラゴン×マッハ!の良さを分かってもらえて僕もうれしいよ!」
「ところで、マイクあれほど勧めてくれたのに、今週君を劇場で1回も見てないんだけど…」
「(ホントに毎日通ってるのか…)」
「今日の最終上映にはもちろん来てくれるよね!」
「…いや、今週はちょっと未体験ゾーンが忙しくて…」
未体験ゾーン!?!?


<補足など>
・男性の場合はこの方法を使うと1週間7400円で毎日”ドラゴン×マッハ”が見えますが、女性の場合は300円増えて7700円になります。それでも1回あたり1100円と大変お得ですね!
・実は翌週でも1/25が2/1になるので、プラス100円で1週間過ごせたりします。ただし、ドラゴン×マッハ!は終了してますが…。
・未体験ゾーンは別に知らなくても大丈夫だと思いますね。

俺と「2016年の映画をふりかえる」

2016年は途中からすっかり映画感想を書くことをサボってしまい、いつの間にか年も明けてしまいましたが、ぼちぼち昨年の映画を振り返ってみようと思います。
ということで、例年通り鑑賞本数とかベスト10的なものを発表しても良いのですが、数年前まで空中キャンプさんのサイトで毎年やってた「○○年の映画をふりかえる」に乗っかって、2016年の映画を振り返ってみたいと思います。

ルールは次の三つ

1. 2016年に劇場公開された映画でよかったものを3つ選ぶ(1つor2つでも可)
2. 選んだ映画のなかで、印象に残っている場面をひとつ挙げる
3. 今年いちばんよかったなと思う役者さんを挙げる

ということで私の2016年を振り返ると

  1. 海よりもまだ深く」「ヤング・アダルト・ニューヨーク」
  2. 海よりもまだ深く」で主人公である阿部寛池松壮亮演じる会社の後輩にギャンブルの金を無心し、なおかつその金を貸してもらえるという、ああ、この人心底ダメ人間だなということが凝縮されてた場面
  3. 池松壮亮

と言った感じになりました。
選んだ2作品のことについてはちょっと置いといて、役者としては池松壮亮がとても良かったなと思います。これ以外にも菅田将輝とのダラダラした空気感が素晴らしかった「セトウツミ」や、「海よりもまだ深く」と似たような立ち位置だけどナイスタックルが印象的な「永い言い訳」など、それぞれ作品の中でいろんな表情を見せてくれた役者さんでした。
特に「海よりもまだ深く」では、ダメすぎる阿部寛を支える彼。包容力があって、物わかりの良い彼が、どう考えても作品のヒロインでしょう!とか訳分からないこと力説したくなるくらいの、今までこういう作品だと女性が担うことが多かった部分を、男性ながらにさらりと演じてしまう凄さがとても印象的だったので、彼に敬意を表する意味でもこのシーンを選んでみました。

以下はふりかえる企画にあったコメントの代わりに、選んだ2作品をネタにしたとりとめのない話です。


いきなり映画の話とは全く関係ないのだが、先日出張したついでに大学時代の友人と会う機会があり、飲み屋で2時間ほどアレコレ話したりした。彼と会うのは大学を卒業して、都合3度目、1度目は卒業しての翌年で、前回は昨年(2015年)、そして3度目がこないだという流れになるのだが、前回は本当にお互い予期しない場所でばったり会った(そして挨拶程度の立ち話で終わった)ので、近況報告をするのは数年ぶりという感じになる。
まあ、仕事の話とかをダラダラしたりしてたのだが、彼から「前回会った時に言いそびれてたんだけど、2年前に結婚して今子供も居るんだよね…」という話題をされた。別にその事自体はおめでたいことなので「おめでとう!」ということを彼に伝えて終わりなのだが、その話を聞いた後、居酒屋を出て彼と別れた後に心の片隅に浮かんでは消える、不安とも焦燥とも似てるようで違う感情(もしかしたら私がそう認めたくないだけかもしれないが)、この感情を取り扱ってるなと思った作品がこの2作品だと思ったので、実はこの2作品以上に好きな作品はあるのだけれども、2016年を振り返るとこの作品のことがまず頭に浮かんだ。

話を映画に戻そう、「海よりもまだ深く」で阿部寛演じる主人公は処女作で文学賞を受賞するも、以降は鳴かず飛ばず。取材と称して興信所勤めで生計を立てる男。「ヤング・アダルト・ニューヨーク」でベン・スティラー演じる主人公として取り上げられる男も、処女作で注目を浴びるも8年間も新作が完成していないドキュメンタリー映画監督。どちらも1度は誰もが夢見る成功という果実を手にしたものの、どちらも思い描いた人生とは程遠い人生を歩んでいるという感じの男といった感じだ。こう書くと、私自身が“なりたいもの”とほど遠い人生を歩んでいる男…なんて思われるかもしれないが、少なくとも私にはこの二人のような“人生の中でのあるべき姿・なりたい自分の姿”みたいなモノがある訳でもないし、人生の転機みたいな部分―例えば進学だったり、就職だったり―で転機に決断した、思い描いていた内容とは違う方向に進んだりする人間だったなと。別に、これは私だけの話じゃなくて、多くの人はそれこそなりたい自分を目指して進む道を選んでないなとは思うが、少なくともこの二つの作品の主人公は二人ともその部分である程度、明確にその部分とのかい離が提示されているのだな。

ただ、一方で多くの人にある“人生のあるべき姿”のようなものは、別に仕事に限ったわけじゃなくて、それこそ結婚であり、家庭や子を持つことであり、そういう部分での何とも言えない重圧みたいな部分にも隠れてるんじゃないかなと思ったりもした。とはいえ、今の私の生き方を改めて振り返ってみて、ほどほどの給料をもらえて、年間200本近く好きな映画を見られて、たまに美味いモノを食べに行ける今の生活に満足してるのも事実な訳でだな、結婚や子育てというモノを“今すぐに手に入れるべきあるべき姿”かと言われると、それこそ何度も親や親戚に言われたことに対する発言と同じ回答になってしまう訳だ。(まあ、そもそもそうなるべき相手がいないじゃんという根本的問題はちょっと置いといてだな…)そう考えると、あるべき姿からの乖離にもがき悩む彼らの姿と友人からの一言(正確には彼の現状)がもたらす感情は、もっと深いところで繋がってるんじゃないかと感じた。この記事を書くにあたって、改めて(映画と自分を)ふりかえってみると、彼らの葛藤と私の感情はともにある種の“停滞”に繋がってるのかなと思う。“停滞”なんて書くからネガティブに聞こえるかもしれないが、この2作品は少なくとも見ている時にそんなネガティブさを感じさせるような作品ではない。ただ、主人公二人の見せる感情の引っ掛かりのような部分を私なりに読み解いていくと、“停滞”という言葉が 浮かび上がってくる。

改めて考えると「海よりもまだ深く」の主人公はそれこそより“停滞”を強く感じる男だ。この映画の中で彼の別れた妻は変化の象徴であり、一向に変化しなかった夫に愛想を尽かして彼と別れたのは想像に難くない。ただ、彼の中でも“停滞”があり、例えば一向に進まない原稿がそれに当っていたのかもしれないし、彼自身の中で“停滞”の象徴であった父に近づいてしまっていることに戸惑っていたのかもしれない。その一方で彼の停滞を受容する人もいて、それが母であり池松壮亮演じる後輩であり彼の息子なのだ。劇中での彼の“停滞”がネガティブに感じないのは、彼自身の憎めなさもそうだが、それ以上にそれを受容する人の暖かさによるものが、そう時間させてくれているのだと思う。
「ヤング・アダルト・ニューヨーク」の主人公は“停滞”を打破しようとしもがく男という印象が浮かび上がってくる。同世代の友人と同じような生活、世界を過ごしてきたはずなのに、少しずつ生じてしまったズレ(このズレはナオミ・ワッツ演じるパートナーの方に如実に描写されてたりもする)。彼は講師として映画を教えているのに、自分が作りたかったアメリカをテーマにした壮大なドキュメンタリーの完成も遅々として進まず、撮影のパートナーにも愛想を尽かされる始末。そんな彼が“停滞”を打破するために、アダム・ドライバーが持っている若さをある種嫌々ながらも受け入れて行く。ここでいう若さとは変化の象徴だ。自分とは違う感性、生き方、考え方、食べ物や生き方や音楽や趣味や…etcを変えてみれば、この“停滞”が打破されるのではないか。そんな希望にすがる男の物語のように思えてならない。

朝起きて会社に行って仕事して家に帰って飯食って休日は映画を見に行って、たまに美味いものでも食べる。そんな私の日常の繰り返しに満足しつつも、心のどこかにこれが“停滞”だと感じている部分があるのではないのか。友人の変化を告げる一言によって呼び起された感情それこそが、彼らと同じ“停滞”に対する思いなんじゃないだろうか。
どちらの映画でも主人公たちの“停滞”を打破するための、分かりやすくて気持ちのいい解答は提示されず、もしかしたら彼らのその後に大きな変化はないのかもしれない。少なくとも「海よりもまだ深く」の主人公はあのままの生き方に落ち着きそうな気がする。ただ、全ての人の人生が順風満帆に進まないように、普通の人の人生の中にある“停滞”と向き合う彼らの姿が、同じく心の片隅に“停滞”を感じている私の心のどこかに響く部分があったのだろうなと。そして、彼らが明確な結論を見出していない部分に、私も同じ匂いを感じていたんじゃないかと思う。


ということを2016年に考えたりしたので、ふりかえって選ぶ映画はこの2本になりました。ちなみに、矛盾してるようですがもっと好きな映画は別にあったりするので、それはまた次の機会に…。

俺と「ハイローの秘密」

これは秋の深まりを感じるある午後に起きた出来事です…。

「やあ、ピーター。どうしたんだい?そんな世界が終わりそうな表情をしてるけども」
「マイク…聴いてくれるかい?実は僕、大変なことに気付いてしまったようなんだ…」
「大変なこととか言いながら、本当に大変なことなのかねぇ」
「もちろんそうだよ。ところで、マイクはハイローは見たかい?」
「ハイローって”HiGH&LOW”のこと?ドラマは見てないけど映画は二本とも見たよ」
「なら大丈夫だよ。僕もドラマは見てないけど、あの世界に隠される秘密に気付いてしまったんだよ…」

「で、どんな秘密なのさ」
「マイクはハイロー界で最強の武器って何だと思う?」
「武器って言っても1作目は素手の殴り合いがメインだし、2作目も銃が最強っていうイメージが無いし…。となると龍也さんを倒した車かな?」
「確かに一部では車最強説が採られてるハイロー界だよね。ただ、僕が気付いてしまったのは、あの映画で恐れるべきなのもっと別のことだっていうことなんだ…」
「え?どういうこと?車よりも銃よりも強い武器があったっていうこと?」
「いや、本当に恐れるべきなのは個々の武器なんかじゃないんだよ!マイク、確かに車はあのMUGENのメンバーだった龍也さんをも倒した最強の武器だ。だけど、同じ事故に遭った九十九さんは助かってるよね」
「確かにそうだけど、あれは龍也さんのおかげなんじゃ…。ピーターは何が龍也さんと九十九さんの生死を分けたっていうんだ?」
「龍也さんと九十九さんの生死を分けたもの…。それは仕事だ!」
「えっ?」

「いやいや、全く意味が分からないんだけど!」
「フィル。よくよく思いしてみてくれ。ハイローの主要人物で死んでしまったのは仕事を持ってる九十九さんだけだってことを…」
「でも…」
「そして"THE RED RAIN"でヤクザモノを除いて死んでしまったのは、弁護士と工場経営者夫妻…」
「いやいや、ちょっとこじつけなんじゃ…」
「フィルは不思議に思わないかい?ハイローの世界の中で仕事や労働といった社会的な概念が薄すぎると言う点を!」
「だってヤンキーものだし…」
「ヤンキーだっていつかは社会に出て働くわけだろ。でも、ハイローの世界にはそういったことの描写って言うのは殆ど無いよね。むしろ、あえて出していない風にすら感じるわけだ!それは何故か、そういったことを選択したら、最終的に死んでしまうからなんだよ!」
「ちょっと勘ぐり過ぎじゃ…」
「例えば、鬼邪高校ではスカウトを待つために何年も留年するという荒唐無稽な設定があるけど、実はコレも彼らなりの死を回避するための術なんだよ!」
「なっ、なんだってー!?」
「更には、シャッター街になってる山王街や、現代日本とは思えないような無名街。普通に考えたらこれらの地区はむしろ再開発された方が、治安や雇用も安定する普通に考えたらそうでしょ!」
「でも、九龍のやつらの目論見もあるし…」
「いや、違うね。恐らく彼らが恐れているのは再開発され、安定した生活を送ってしまうことが死につながるって言うことを本能的に感じ取っているんだよ!!」
「じゃあ、いい大人として描写されてる人たちが大抵ろくでなしなのも…」
「それ以外の普通の人がハイローの表舞台に出てくると、死に繋がってしまうからなんだ…」
「なんてこった。ピーター、君はなんという秘密を知ってしまったんだよ!!」
「ここからは僕の推測なんだが、逆にSWORDの人たちの異様なまでの耐久力の高さ。拳で殴られても鉄パイプで殴打されても立ち上がってくるあの生命力の強さは…」
「働かないことに起因してるの可能性があるんだ」
「そ、そんな…」


「そういえばピーター深刻な表情をしてた理由を教えてくれないか?」
「マイク…残念なお知らせがあるんだ…。実は僕はこないだ就職が決まったんだ…。」
「えっ?で、でもあの映画はただ単に映画の世界の出来事だから現実には関係ないよね!!」
「もちろん、そうだと思うけど。ちょっと遠くに行くことになりそうなんで挨拶しておこうと思ってね。」
「そうなんだ。ハイローの話を聞いたからちょっと不安に思えるけど、おめでとう!これから頑張ってよ。」
「ありがとう。マイクも元気でね。」

そして、これがピーターを見た最後の時だったのです…。

俺と「映画館でのスマホ」

それでは、本日最初の相談は”映画館で起きた不快な出来事”尾崎タイヤ・シャンティのお二人です。

タイヤ(以下T)「今日の相談というのはですね、僕の知り合いのエイトのことなんですが」
シャンティ(以下S)「あのエイト君ね」
T「おう、君知ってるのかい!彼のこと」
S「いや、初耳ですわ」
T「何やそれ!まあ、話を進めるとですね。先日彼が映画館に映画を見に行ったんですよ。その時にあったトラブルについての相談なんですが」
S「いやいや、映画館でトラブルなんて起きないでしょ!みんな座って映画見てるだけやし」
T「それがやね、結構不快な体験をしたらしいんですよ。そのエイト君。4DXの上映を見に行ったんですよ。知ってます4DX?」
S「聞いたことがあるようでないかも知れんな。」
T「分かりやすく説明するとやな、普通の映画アレは2次元だから2Dで、最近流行りなのがメガネをかけると映像が飛び出す3D」
S「そりゃ、3Dって危なそうですやん。なんせ、映像飛び出して来るってことは、銃撃戦の弾とかコッチに当たるんでしょ。おちおち映画も見てられないですよ!」
T「何をアホなことを!3Dいうてもあくまで飛び出してる風に見えるだけ、実際にコッチには何も飛んできません!」
S「なんや!早く言うてよ。これで、やっと3D見に行けるわ…」
T「なんちゅうあほな勘違いを…。まあ話を4DXを戻すと、その3Dを超える体験ができるの4DXなんよ」
S「ほう、でどんな体験ができるん?」
T「例えば、実際の映画の映像に合わせて席が揺れたり、シーンにあわせて水がかかったり、匂いが出る演出もあったりするという!」
S「なんや、それだけかい。そんな体験なんか普通の映画でもできるやろ」
T「いや、普通の映画じゃそんなことないでしょ!」
S「あるよー。例えばな、君が今僕の隣の席に座って映画見てるとするやん」
T「ほうほう」
S「その時にショッキングなシーンを見た僕が、とても驚いたりアクションで君の座席が揺れ!」
T「うっとうしいな」
S「心を落ち着かせようとして、飲もうとしたドリンクが手が震えて間違って君にかかり!」
T「単純に迷惑な客や!」
S「クライマックスシーンで思わず力が入った僕からかぐわしい匂いがもれる!」
T「それ、ただのオナラやろ!君とは絶対映画一緒に見に行きたくないわ。で、話を戻してそのエイト君、その4DXを見に行ったわけなんですよ。」
S「そうやったそやった、そのエイト君、不快な出来事ってどんな目に会うたん?」
T「君は映画あんまり見ないから分からんと思うけど、4DXな、コレ追加料金がかかるわけですよ。」
S「えっ、そうなん!いくら位すんの?」
T「仮に普通の鑑賞料金が1800円とすると2800円もかかるんよ。」
S「そんなにするん!僕んちの一日分の食費やん!」
T「君はいい大人なんだから、もっと良いもの食べなさい!で、話を戻すと、追加料金払って彼は4DXを見に行ったんですよ。」
S「追加料金払うぐらいやから、さぞかしその映画楽しみにしてたんやろうな」
T「そう、もちろん周りの人もそんな人ばっかりだとエイト君は思ってたんよ。それが本編始まった瞬間に状況が一変するわけで、何と彼の前に座ってた人が本編始まってもたびたびスマホをいじりるんですよ!」
S「それはアカンね。」
T「そうやろ。スマホを操作する光がチラチラ視界に入ってきて、非常に鑑賞の妨げになるんよね。だから劇場でも上映中は携帯NGのマナー啓発CMをやってるんよね」
S「ただ、君も映画館は気いつけた方が良いかもな。」
T「なんでや!」
S「いや、君の頭に反射する光がチラチラ視界に入ってくると、後ろの人辛いと思うよ!」
T「うるさいわ!で、しかもソイツは途中で電話するために劇場出てったりして、もう何がなんだか…」
S「その間、劇場の人は何してたん?」
T「劇場の人は映写状況はチェックしても客席の状況とかはチェックしないことが殆どだし、そもそもそんな人出もないんよ」
S「そうなんや。ってことは、映画を楽しみに来てたエイト君は追加料金払ったのに不快な思いして帰ったってこと?」
T「まあ、そうなるね」
S「やっぱり、上映方式の選択が間違ってたね。僕やったら絶対3D方式を選択してたわ」
T「それは何ゆえ?」
S「そりゃ、そういう上映中にスマホいじる輩を狙撃しても、3Dだったら画面が飛び出た弾と見分けつかないでしょ!」
T「だから、3Dで映画見ても画面からは何も飛び出してこねーよ!!!」
T「という訳で、今回みたいな場合、エイト君はその人に損害賠償できるかどうかを相談させてもらいにきました。」

はい、それでは今回の相談をまとめさせていただくと、
”タイヤさんの知り合いのエイト君が4DXの映画を見に行った際に、劇場側から「携帯・スマホ”は使用しないで!」と呼びかけられてるのにも関わらず、近くに居た人が何度も操作して鑑賞の妨げになっており、その人にきちんと映画を見れなかった分の損害を請求できるかどうか”
ということですね。大変よく分かりました。それでは相談員の…

俺と「2016年2月の映画」

やばい、もう上半期が終わってしまう。上半期にしたかったことのうち半分もできたないのですが、とりあえず2月分の良かった映画についてはなんとかざっくりした感想を仕上げておきましょう。

ザ・ウォーク

昨年の試写会でレーザーIMAXで一足先にこの作品を鑑賞をした人から「レーザーIMAXでの鑑賞マジおすすめ!」とおすすめされたので、会社有休とって109シネマズエキスポシティに初めて行ってきて見てきました。その映像については、映画の前半でJGLが師匠に綱渡りを教えてもらうシーンがあるんですが、そこで彼がバランス取るようの棒を落としたシーンで、落ちてくる棒を「うわっ、当たる!」と思って思わずのけ反ってしまったほどにしまった位に最高の臨場感ある映像でとてもよかったです。
あとは、今までのJGLのイメージとは結構違う「傲岸不遜」という言葉がぴったりな彼のキャラクターがインパクトありましたね。映画冒頭のジャグリングのシーンでも、クライマックスのWTCのシーンでも、自分の領域は誰にも侵させない彼の姿がとても印象的でした。



ディーパンの闘い

予告編も一切見ず、監督がジャック・オディアールだと言うことと、カンヌ映画祭で審査員の満場一致でパルムドールを獲得したということぐらいの前情報で見に行ったわけですが、これが同じ日に見た「サウルの息子」と同じぐらいの衝撃的な作品で、こんなすごい映画を1日に2本も見るなんて、俺明日死ぬんじゃないかと心配になったほどの作品でした。
映画の内容に触れるとその時の感触が消える気がするので、あえて本編の内容とは関係ない話を一つだけ書くと、これまで「預言者」、「きみと歩く世界」でカンヌ映画祭コンペティション部門にノミネートされながらも、惜しくも受賞することができなかった彼は、今回の受賞の時にかつてどちらの作品を出品した時にもパルムドールを獲得したミヒャエル・ハネケに対して、「ミヒャエル、今回は映画を作らないでいてくれて本当にありがとう!」とウィットにとんだ祝辞を送った話も映画と同じくらい最高に好きです。



「オデッセイ」

何はともあれポジティブすぎるマット・デイモンのキャラクターが最高である。「火星に一人ぼっち」という最もやるせない状況の中でも、忍耐強くやれることをやる姿勢、極限の状態の中でも、サバイバルのための手段を次々と考えていく賢さ、そして何より、辛い状況に置かれても後ろ向きにならず、常にユーモアを交える性格、困難な状況を乗り越える彼の全てが、見ているこちらに勇気を与えてくれるようなキャラクターで素晴らしい。
そして、彼を必死で救出しようとするNASAの面々やアレス計画のメンバーも同じくらい素晴らしくて、聡明で決断力のある女性艦長のジェシカ・チャスティンやクルーの中でもマット・デイモンと並ぶユーモラスなキャラクターのマイケル・ペーニャ、また、NASAの専門家チームもこれぞ専門家!って感じで最高。うちの会社もこんな感じだったら良いのに!
あと、「映画も良いけど小説のほうも良いぞ!」と勧められたので原作小説を読んでるのですが、こちらも最高。人類はもっとダクトテープを讃えるべき。



スティーブ・ジョブズ

こちらはオデッセイとはうってかわって、こんな人とは一緒に仕事したくないなと思わせる人の映画でした。
スティーブ・ジョブスと言えばアップルのカリスマ的な経営者で、この人にあこがれる人も数多くいると思うんですが、この映画の中での彼はカリスマというよりも、とってもメンドクセー奴−無茶な納期を押し付けてくるといったパワハラ野郎、間違いを指摘されても絶対曲げない頑固者、私生活もズタボロ…−と三拍子そろった男で、こんな奴と一緒に仕事したらすぐに胃に穴が開くと思いますね。
とは言え、映画としてはそのメンドクセー奴が他のメンドクセー人と会話、もう口げんかに近いレベルの会話をしてる様子が何より面白くて、「おとなのけんか」のような、完成された舞台劇を見てるような気持にさせてくれる作品でした。