俺と「西又河野林道」〜その3

まだまだ日中は暑い日々が続いておりますが、朝晩は流石に秋の爽やかな空気を感じるようになってきた今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか?
まあ、そんな季節の移り変わりとはまったく無関係に、突然思い出した去年のお盆に行った田舎道のことをの続きを数ヶ月ぶりに書くのです。
(とはいっても今回もこんな感じの写真をダラダラと並べていくだけですが。)

道路横の空き地に無造作に放置されていたなぞの重機。気になるぞ…。


さてさて、高知県香美市香北町側から西又河野渓谷林道をトボトボと登り始めた私と友人Nですが、そろそろ道路も登りが緩くなってきて、「遂に頂上か!」とテンションが3mm程度上昇したのですが、やっぱり高知の林道の頂上付近ってそんなに見晴らしも良くないし盛り上がらないんだよね…。


来たぜ!土佐山田町!(といっても平成の大合併香美市香美市なの。)


多分この林道で一番高い部分辺りだけど、まだまだ深い山の中…。


西又河野渓谷林道という名を知ったのは、この看板のおかげである。でも、この林道で出会い頭に車に出会うことは滅多に無いと思うけどな!


とはいっても、「下り始めたら遠足で言えばもう帰り道に行ったも同然だし、あとはゆっくり帰るだけだとな…」と若干もの悲しい気分に包まれた我々ですが、そんな我々を嘲笑うかのように突如として現れた怪しいわき道…。俄然テンションの上がる二人。当然そちら側に向かっていくわけです。


手書きのオリジナル看板!道路状態や観光地も記載されてて情報量多し。因みに謎のわき道は奥の錆びた赤い橋を渡って進みます。


うん。これは車では無理だね…。(ここからは車を降りて徒歩ですよ…)


ナナフシ先生!先生が隠れ蓑術(擬態)の使い手と言うことは拙者も重々承知しておりますが、全然隠れてないでござるよ!


ナナフシ先生が見ていた景色(かもしれない)


うん。やっぱりこのクソ暑いお盆のど真ん中に、何の装備もしてないボンクラおっさん二人が、山道に徒歩でテクテク入っていくってのがそもそも無理。汗はダラダラかくし、坂道はきついし、虫多いし、なんかでっかい虻みたいなのも居るし。そろそろ帰るかな…って、おいお前(虻)、ちょっと車に入ってくるんじゃないよ!俺たちはもう帰るんだよ!ぎゃ〜…。あの、そろそろ丁重にお引取り願えませんでしょうか…。
ちょっと寄り道はしたものの、無事林道を走り終えた我々。下り終えると結構でかい石碑がどーんと鎮座してまして、この林道のあらましとかが書いてあったよ。(まあ、写真撮っただけで本文はまったく読まずに帰ったのは内緒)



しかし、こんなド田舎所に舗装された林道を作ってくれる、奇特な人が居たもんだ。


西又河野林道を後にしたとはいえ、直ぐにでかい道(片側1車線レベル)に通じる訳も無く、まだまだ続くよ田舎道。


みんなルールを守って魚を取ろうぜ!(私はそもそも魚とり自体をしませんが…)


看板があった直ぐ脇の渓流と橋。みんなこの橋から釣りを楽しんでるのだろう。(多分違う)


しかし、川底まで気持ちいいほど良く見えるな。


下流に行くと、小さなダムの傍らで家族がピクニックをしておった。ええな〜。そうだ、ダムに行こう!(そっちかよ!)


と言うわけで、近くのダムに向かった私と友人N。この付近のダムと言えば、当然穴内川ダムだよね!
穴内川ダムを知らないと言う圧倒的多数派の方に説明しておくと、穴内川ダムといえば、全国でも珍しい中空重力式コンクリートダムという形式でして…(以下、ウィキぺディアの受け売りが続くので割愛。詳細はこちら→穴内川ダムを参照)


看板も中空重力式コンクリートダムをアピールしてるんだよ!(力説)


前側から見たダム。巨大なコンクリート建造物ってなんかいいよね。


後側から見たダム。放流時はあのゲートが開きますよ!


ゲート付近から下を見ると、思ってたよりも高くてタマが縮み上がると思ったのは内緒。


我輩はダム湖である。愛称はまだない。


竣工は昭和39年(1964年)なので、そろそろ50歳か。


と言うわけで、お盆にあった出来事をまとめてたら、翌年のお盆が過ぎ去ったのでござる。
次回は、もっと早く記事を書きたいよね。と常日頃思っているがまったく実践されない決意で、過ぎ去った2011年の夏の思い出を〆たいのであります。


田舎道を走ってたと思ったら、いつの間にか海まで行ってたよ。