俺と「サイド・エフェクト」

 「サイド・エフェクト」を見て来ました。普段映画見てるときは、出てる登場人物の誰かに感情移入したり、逆に起きてる出来事を第三者的な視点(もしくは神の視点)で見たりと様々な見方で見てるわけですが、結構見てるときの視点ってあんまり変わらない気がするんですよ。でも、この「サイド・エフェクト」はそういう見てる側の映画の見方を揺さぶるような感覚があって、途中で脳から変な物質が出てるんじゃないかと心配になるほどに面白かったです。



 さて、本作では主人公のエミリー(ルーニー・マーラ)が精神病の患者としてバンクス(ジュ−ド・ロウ)のもとで治療していく過程で事件が起きて…となっていくストーリーが進行していくのですが、私自身はそういう風な経験が全く無いのに、途中まではエミリーに物凄く肩入れして映画を見てました。ストーリーが進んでいくにつれて、映画を見つつ自分の中で”このお話はこうあるべきだ”というイメージが出来上がってきて、描写されていないモノまであたかもあるように感じてしまう感覚、だからこそバンクスの抱く疑惑に逆にこちら側が不信感を膨らませながら映画の展開を追っていったのです…(なお、この時点では脳から変な物質は出ていない)。


 ちょっと話は戻りますが、劇中でバンクスが精神科医の仕事について解説するシーンがあります。そこでバンクスは「精神科医は外科とは違った難しさがある。外科なら悪い部分は眼に見えるが、精神科の相手にしてるモノは眼に見えないからだ。」(うろ覚え)と述べます。正直、このシーンではそんなにも印象に残らなかった台詞ですが、これが後に非常に重要な意味を持ってくると思ったのですよ。
 我々もエミリーの行った行為を目の当たりにしてるとは言え、彼女が何を考え、何を思って行動したかについては自分自身で創造するしかないのですな。だからこそ、エミリーに肩入れしていた私は、あたかも”エミリーはこういう事でこうしたに違いない”という先入観をもとに映画を見る訳で、これって実はバンクスが突きつけた精神科医の仕事と同質だと思うのです(エミリーの側に肩入れしてたはずが、いつの間にかバンクス側の視点に立ってたことに気付かされる感覚…)。
 例えば、普段の生活でも文脈(相手はこういう話の流れでこういう事を言ったと思う)だとか、属性(誰々がこういう発言した)っていう事はコミュニケーションをする上で有利な面もあればソレが足かせにもなってる訳ですが、映画を見ることでも同じような事をしてるのということこの映画でを突きつけられて、ちょっと脳から変な物質が出た気がしました。もちろん、映画は1つの正解を求めて思考するようなものではないので、騙されるということは全然悪いことではない訳ですが。
 最終的に映画では核心の部分が明かされる訳ですが、その核心の部分が逆だったとしても、もしくは明かされずにぼやかされたとしても、多分私がこの映画の評価は全く変わらないと思うんですな。それはこの映画の私にとっての主題が”何があったか”にあるのでなく、”何があったかと思うのか”にあると感じたからだと、そんな事を思った映画でした。



 全くの余談ですが、会社で働いてる女性がこの映画のルーニー・マーラッぽいなと思ったのでその話をしたら、「髪形が似てるだけですよ」とあっさり切り返されてしまいました。(オチは無い)