俺と「海洋天堂」

海洋天堂見てきたぜ@梅田ガーデンシネマ
サービスデイだったこともあって、客席は殆ど埋まってましたね。


以前、見た予告編から勝手に妄想してたイメージではもっとコッテリ風味の親子関係とかが描かれるのかなと思ってましたが、その部分はかなりあっさり風味で結構淡々と場面が進みます。なので、正直序盤は間合いを図りかねる部分が多かったです。特に、冒頭ジェット・リー演じるシンチョンが、息子ターフーと共に入水自殺をするシーンから物語が始まるのですが、ここに至る決意の部分が後半語られるのかなと思ったのですが、意外にその部分はあまり深く触れられず(もちろん直接的な要因である病については何度も描写がありますが)、それよりも普通の生活を通して父と子繋がりを描いていく方に重きがある作品なのかなと思いました。
でも、これってある意味オーソドックスなカンフー映画のフォーマットでも見られるパターンですよね。カンフー映画の修行シーンで特に重視されるのは、日常生活の何気ない所作であり、イキナリ奥義が伝授されるなんてことはまずありえないわけです。だからこそ、この映画でも直接的なメッセージが父から子へとその思いが伝わっていくのではなく、何気ない形での所作がしっかりと息子に伝わっていたという部分が、カンフー映画と本質的に同じであると思ったわけです。



(表向きは伝わっていないように思えても…)



役者陣の演技では、やはりジェット・リーの病に冒され余命幾許もない父親演技が素晴らしかったです。息子に伝えたいことがあるのに、それが果たして息子に伝わっているのかが分からないもどかしさや焦り。その一方で、常に周囲の人への感謝を忘れない実直な人柄と息子のことを第一に思いひたむきに行動するその姿は、周囲の人を動かすに十分な説得力を持つ人物だと思いました。




「シンチョンのような真摯な父親だからこそ周りの人が動いた」「隣人のチャイさんや館長のような人だからシンチョンの思いを汲んでくれた」と、ラストのシーンだけ見ればハッピーエンドですが、一方で、「彼らがいない場合我々はどうするべきなのか」ということが突きつけられている映画なのかなとも思います。
序盤に、水槽で泳いでいるダーフーを水槽の外からシンチョンと館長が見ているシーンがあります。水槽の内と外が彼らと我々の距離感を如実に現していましたが、その隔たりを縮めることができるのか(それとも水槽の内と外の関係でいるのか)、その部分が問われている作品なのかなと思いました。





(まじめな感想を台無しにする破壊力のあるジェットリーの亀仙人コスプレ)