俺ととあるスピーチ

ちょっと前にあるスピーチをする機会があったのですが、その時に喋る用に色々考えたのに、考えた事の3割以下しか発言できなった自分への戒めに、当時の原稿を記しておこうと思います…。

Aさん、Bさんご結婚おめでとうございます。
お二人から、「パーティでスピーチをお願いします。」と依頼されたときは、正直「何故、俺が…」なんて思ったり、実は今「なんで僕やないんや!」と内心思ってる方がいらっしゃるかもしれません。そういう方は、後から思う存分私のスピーチを吹き飛ばすようなメッセージをお二人へ伝えてもらえればなと思っております。
さて、私の価値観が古いのかもしれませんが、個人的な印象だとこういう場で喋る人ってって、こう職場とか、学校とかの先輩や恩師が人生の先輩として、「結婚とは〜」とか「夫婦生活とは〜」なんて喋ったりする印象があるのですが、お二人よりも人生の後輩で、しかも結婚すらしたことの無いような私が、果たして何を喋ったら良いのだと思ったりしたわけです。
でも、よくよく考えれば私の好きなゾンビ映画(あっ、なんか晴れの場に似つかわしくないゾンビなんて単語出してゴメンナサイ)なんていうのも、作ってる輩たちは恐らくゾンビになった事はおろか、多分実際にはゾンビを見たことも無いような奴等がゾンビ映画を作ってる訳で、そう考えると結婚してない奴がこういう場でスピーチするのもなんとかなりそう気がしてきた訳です!ありがとうゾンビ映画


あんまりこの話題を引っ張るのもどうかと思うのですが、ゾンビ映画なんていうのは多分皆さんがご存知の通り、現実にはありもしないゾンビなんていうのが出てきて、まあアレコレやったりするんですけど、べつに「現実にはありもしないもの」とか、もっと言うと「個人が体験した事も無いもの」っていうのは、ゾンビ映画に限らず、例えばスーパーヒーローが宇宙を救ったり、カンフーの達人が悪人をやっつけたり、ドコにでも居るような普通の奴がありもしないような美女が(もしくはいい男)と出会って恋に落ちたり(まあ、これはもしかしたらこの場に居る人の中で経験してる人も居るかもしれませんが…)などなど多くの映画で登場する訳ですよね。
でも、それが「自分が経験できないような現実離れした出来事」だからと言って、面白くないとか、感動しないとかそんな事は全く無い訳で、じゃあ、私たちは何故その映画が面白いと感じるのだろうと思うわけです。
私が思うに、映画を作ってる人の感性だったりとか、考えてる事・思ってる事なんかが、実はその映画の中には大なり小なり込められてると思うんですよ。そして、見てる我々はそんな彼らの思いに共通するものを汲み取って、映画の中の人物と同じ視点でないたり笑ったりしたり、自分が予想だにしなかったような視点に驚き、今すぐ映画の中の世界にを感じたり飛び込みたい!なんて感覚を抱いたりするんじゃないかなと。
まあ、要は映画を好きになるって行為は、実は映画を作り手側に共感する、もう一歩踏み込んでみると、作り手の事を好きになってることなんじゃないかと(少なくとも私はそう)思うわけです。


でも、意外にに自分の中の感情(面白いとか、好きって感情が何故生まれてくるのかという部分)っていうのを把握するのは難しいなと、私なんかは思っちゃうわけです。だからこそ、自分の中のもやもやの答えを見つけるために、誰かの感想を読んだり聞いたりしてるのかも知れないし、もしかしたら素晴しい映画に出会う事と同じぐらいに、素晴しい感想に出会う事にも価値があるんじゃないかなと思うわけです(そんな感想を書ける人に出会える事も含めて…)。
さっき、映画を好きになる事は、ある意味作り手の感覚を好きになる事同じと言いましたが、映画の感想を素晴しいと思うことも、それと同じような感覚なんじゃないかなと私は思います。
皆さんご存知の通り、お二人ともそんな映画の感想をたくさん書いている訳です。そんな中で、お二人とも色んな映画を共有していくうちに、少しづつ相手の感性と同じ部分や、違ってる部分なんかを理解していったんじゃないかなと、私は勝手に思っています。
モチロン、これは映画に限った事じゃなくて、日常生活のごく当たり前のこと、一緒にご飯を食べたり、買い物に行ったりとか、そんな些細な事からでも、少し相手の事を理解していったのでしょう。
そして、小さなことでもお互いが共有できるような、そんな関係がこれからも続いていくんだろうなと思っています。


そんなお二人がこれからも素晴しい映画に出会う事を…だけじゃなくて、こんな多くの人から祝福されるような人生がこれからも続いていく事を祈っています。


本当に今日はおめでとうございます!!


2013年某月某日 友人一同を代表して rino